2019年9月21日 更新

ブラジル史上最悪と呼ばれるバスジャック事件とは?事件のその後は?

ブラジルの首都リオデジャネイロで、銃で脅かしてお金を奪おうとしていただけの若い男が「バスジャック」を起こすことになってしまい。乗客が開放されるまでのショッキングな一部始終が、地元メディアで4時間も完全生中継で流されるという事件が起こりました。

ブラジル国民はかたずを飲んで生中継で流される画面を見つめていました。犯人に口紅を渡された女子大生が「逆さ文字」で書かされた犯人のメッセージは「彼は悪魔と手を組んでいる」「彼はやり遂げる」そして、最後のメッセージが「全員を殺す。午後6時に」だったのです!視聴者は騒然としました。

犯人は窓から身を乗り出し「いいことを教えてやるよ!そっちが本気ならこっちも本気だ。脅しにビビる俺じゃない!こいつの頭が飛ぶ前に手榴弾とライフルをよこせ。6時になればブラジル中にこいつが死ぬのを見せてやる!」と「悪魔の宣告」をしたのです。

その女子大生をリミット前に殺害

Hand Blood Smeared - Free image on Pixabay (643378)

膠着状態が続く中、犯人が「午後6時に全員を殺す」と告げた20分前の午後5時40分。犯人の男は、メッセージを書かせた女子大学生の頭に布を被せると、バスの床にひざまずかせて撃ったのです!女性が絶叫し「彼女を殺した!床が血だらけよ」「言うとおりにして!1人死んだのよ」と人質たちはパニックに陥っていました。

しかし、これは演技だったのです!そもそも小銭欲しさにバスに乗り込んだだけの犯人は「100まで数えてから撃つが、殺しはしない。俺が撃ったら、みんなで悲鳴をあげるんだ。いいな?」と指示しており、人質たちは指示通り「女子大学生が殺された」と絶叫し、迫真の演技をしていたのです。

その後サンドロと女性は死亡

Background Blood Stain - Free image on Pixabay (643381)

バスジャック事件発生から4時間が過ぎた時、犯人はおそらく投降しようとして、突然、人質の女性を抱えたままバスを降りてきました。そして、犯人を外で待ち構えていた特殊部隊の隊員が、わずか30cmの至近距離から突然発砲したのです。

ところが、警察が突然撃った弾は人質の女性の顔に当たってしまい、顔から血が吹き出しました。そして、焦った犯人が発砲してしまった弾が女性に命中し、女性が死亡してしまったのです!

そして、犯人はそのまま警官隊に拘束され、パトカーで連行されたのですが、暴れる犯人を抑えつけようとした警察官が、故意にか事故でかわからないまま首を締め過ぎてしまい、なんと!犯人は窒息死してしまったのです。

犯人はストリートチルドレン

Street Children Game Kid - Free photo on Pixabay (643382)

バスジャック犯人は「俺はカンデラリアにいた!」と叫んだことで、ブラジルの誰もが「犯人は、寝ているところを警察関係者たちに銃撃された『カンデラリア教会虐殺事件』の被害者で、ストリートチルドレンだったのだ」ということに気づき、胸を痛めていました。

一見すると、この事件の犯人の行動は凶悪犯そのものでしたが、犯人はバスジャックを起こすつもりなどなかったのです。ただ小銭をゆすろうとしていただけの貧しい青年は、警察の強硬手段により悲劇へ導かれてしまい、人質の女性と犯人の死は「警察の大失態」として非難されました。

父親は蒸発、母は暴漢に刺殺されたサンドロ・ド・ナシメント

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「バス174」という事件を引き起こすことになってしまった犯人の名前は『サンドロ・ド・ナシメント』で、1978年7月7日にリオデジャネイロのスラム街『マレ』地区で生まれました。父親は生まれる前に亡くなっており、母1人子1人の貧しいい家庭で育てられました。

しかしサンドロが10歳のころ、母親が3人の強盗によってナイフで刺され殺害されるのを目の前で見てしまいます。この事件がトラウマになり、祖母に引き取られることになりましたが、環境が合わずに家を逃亡してしまいました。す。

1人になったサンドロは、リオデジャネイロで生きていくために乞食や金持ちに対して泥棒などをして何とか生計を立て、路上で暮らすストリートチルドレンとなっていました。

その後イボーネの家族に

Love Son Mother - Free photo on Pixabay (643409)

リオデジャネイロにあるカンデラリア教会は、ストリートチルドレンたちのために敷地が開放され、多くのストリートチルドレンが安心して寝泊りできる場所でした。

この教会で人生をかけて子どもたちの世話をしていたのが「ストリートチルドレンの母」と呼ばれる『イボーネ』でした。まだ幼いサンドロは、カンデラリア教会が自分の家のように安心して暮らせる場所で、そこでの仲間を兄弟のように感じ、母のように接してくれるイボーネを慕っていたのです。

イボーネは、子ども達にただ優しく接するだけではなく、本当の母のように「どのように生きていくべきか?」を一緒に考え構築してこうとしていました。いつまでも盗みやたかりや犯罪に手を染めて生きることのないように、自分の人生をかけて子ども達を導こうとしていたのです。

カンデラリア事件を経て犯罪行為

Killer Horror Jimmy - Free photo on Pixabay (643412)

ブラジルのストリートチルドレンにとって、カンデラリア教会は「自分たちが安全に寝泊まりできる場所」としてなくてはならない場所となっていました。

しかし、ここで勝手に暮らしているのは裕福な家の子供ではなく「家も身よりもないストリートチルドレン」でした。街で悪さをしたりするのは当たり前の生活でした。

そこにある日突然、警官やストリートチルドレンを良く思っていない人間の集団たちが「ストリートチルドレンがパトカーに石を投げつけた」と言って、銃を乱射しにやってきたのです。サンドロや子ども達には「絶対に警察は信用してはいけない」というトラウマが生まれました。

カンデラリア協会虐殺事件の概要

Firearm Revolver Bullet - Free photo on Pixabay (643414)

ブラジルには、今でも2万人を超えるストリートチルドレンがおり、深刻な社会問題であることに変わりありません。「バス174」事件を起こしたサンドロの「育ての母」イボーネは、人生をかけて恵まれない子どもたちへの支援活動を続けており、世界的にも名の知れた社会活動家です。

イボーネの開発した「教育メソッド」を受けた子どもは、ブラジル全土に13万人もいるそうです。そして、ブラジルの子どもたちの未来が明るいものに繋がると信じ「第2のサンドロが生まなれないように」と、過去に起きた「カンデラリア教会虐殺事件」と「バス174」の2つの悲劇を語り継いでいます。

そうして語り手から次の語り手へ語り継がれている悲劇の物語は、ブラジルだけでなく世界へ広がるようになっていくのです。

ストリートチルドレンが警察により射殺

Gun Hands Black - Free photo on Pixabay (643420)

『カンデラリア教会虐殺事件(Candelária massacre)』は、1993年7月23日に起こりました。協会の中には70人もの身寄りのない貧しいストリートチルドレンが寝静まっていました。

事件前日の朝、子どもたちはパトカーに投石していたのです。そこで、非番の警察官やストリートチルドレンを良く思っていない大人のグループが数台の車で教会に押し寄せ、寝ている子ども達に銃を発砲し、8人もの子供が命を奪ったのです。

大の大人が、それも警察関係者が寄ってたかって、面白半分と日頃の憂さ晴らしが楽にできると言わんばかりに集まり、無防備に寝ている子供に対して銃を乱射するなどという行為の言い訳などありません。誰がどう見ても「腐っている」としか思えない内容の事件でした。

カンデラリア協会の役割

Money Salary Coins - Free photo on Pixabay (643423)

ローマ教皇を中心として全世界に12億人以上の信徒を有するキリスト教最大の教派であり、中心をローマの司教座に置くことからローマ教会、ローマ・カトリック教会とも呼ばれる『カトリック教会(Ecclesia Catholica)』の一つが『カンデラリア教会』です。

『カンデラリア教会』では、違法薬物売買・売春などに関わる親や、家や身寄りのない子どもたちの『簡易宿泊所』にもなっており、食料・シェルター・教育・宗教指導などの援助も行っていました。

もし自分がストリートチルドレンなら?安心して眠れる場所があることで、どれだけの人が救われ、どれだけの犯罪が防がれたのかを想像するのは簡単でしょう。

事件の経過

People Street Car - Free photo on Pixabay (643425)

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