2019年8月19日 更新

ポリコレ棒の意味や心理とは?ポリティカル・コレクトネスの具体例も

最近何かと耳にする「ポリコレ棒」の意味をご存知でしょうか?ポリコレ棒とは政治的な正しさを口実にして、言論の自由や人の行動を制限・抑圧しようとすることを意味します。この記事ではポリコレ棒の具体例や過剰な正義を振りかざしてしまう心理について解説しています。

目次

Scream Child Girl - Free photo on Pixabay (568325)

このような社会的な流れは「善いこと」に変わりありませんが、それによって息苦しさを覚える人々も増えていったのは事実です。

たとえば、これまで自由に発言することができたマジョリティは、ちょっとした言葉尻を捕えられて「差別をしている」と過剰に批判を受け、社会的に抹殺されてしまうようなケースが頻発していったからです。

過剰な正義や公平さが追求されていった結果、アメリカ社会に「政治的な正しさ」に対する疲労が生じてしまったと考えられます。このような状況に付け入るようにして「ポリコレ棒」という言葉を持ち出し、社会的な公平さや中立を求める流れに否定的な言動を取ったのがトランプ大統領だったと言えるでしょう。

具体的なポリティカル・コレクトネス

Horizontal Justice Right - Free image on Pixabay (567917)

以上でご紹介したように、「ポリコレ棒」と時に揶揄され批判の対象になっているポリティカル・コレクトネスでありますが、その本来的な考え方自体は人々が守るべき尊いものだと言えるでしょう。

では、具体的にポリティカル・コレクトネスが登場したことによって社会にどのような変化が生まれたのでしょうか?ここからは、ポリティカル・コレクトネスによる社会的な影響の具体例をご紹介していきます。

ポリティカル・コレクトネスについて理解するためにも、ぜひご覧ください。

看護婦が看護師という呼び方に変わる

Doctor Medical Medicine - Free photo on Pixabay (567919)

ポリティカル・コレクトネスの具体例としてまずご紹介したいのが、「看護婦」という名称が看護師という呼び方に変わったということです。

昔は女性が医者になるための道は性差別によって閉ざされているも同然であり、女性で医療従事者になろうと思えば看護師になるほかありませんでした。

そのため看護師の圧倒的多数は女性が占めることになりましたが、徐々に男性看護師の比率も増えていきました。このような背景から、ジェンダー・フリーの視点に立って「看護師の仕事は女性ならではのもの」という意味を与える「看護婦」という言葉が使われなくなるようになったのです。

スチュワーデスが客室乗務員・フライトアテンダントに変わる

Japanese Concierge Hotel - Free image on Pixabay (567920)

昭和世代にとって、「スチュワーデス」という名称のほうが「客室乗務員」や「フライトアテンダント」よりも馴染みがあるように感じられることでしょう。

ですが、スチュワーデスに関してもポリティカル・コレクトネスやジェンダー・フリーの観点から、性差別的な含意がなく性別に関わらず使うことのできる客室乗務員やフライトアテンダントといった名称に変更されるようになっています。

というのも、スチュワーデスという言葉は男性乗務員を意味する「スチュワード」の女性形だからです。日本ではまだ客室乗務員=女性というイメージが根強いですが、外資系のエアラインでは女性のみならず男性の客室乗務員も多く活躍しています。

人格障害がパーソナリティ障害という呼び方に変わる

Depression Loneliness Man - Free photo on Pixabay (567921)

ポリティカル・コレクトネスが浸透したことで名称が変更されるようになったのは、固定的な性別役割分担意識にもとづく職業名だけに限りません。

たとえば医学の領域においては、2000年代前半に人格障害がパーソナリティ障害という呼び方に変更されました。というのも、「人格」という日本語は変えることのできない人間の本質をも包含する言葉だからです。

「人格障害」という呼び方は、社会的な環境ではなく生まれつきの素質によって障害を有するようになるとの偏見や誤解を与えかねないため、よりフラットな呼称として「パーソナリティ障害」が用いられるようになっています。

女性の表現がMsに統一される

Wedding Reception Mr Mrs - Free photo on Pixabay (567923)

英語において女性に対する敬称が「Ms.」に統一されるようになったというのも、女性差別から女性を解放しようとするポリティカル・コレクトネスの影響によるものでしょう。

男性は既婚・未婚に関わらず敬称が「Mr.」だけであるのに対し、女性に関しては未婚の場合は「Miss」、既婚者は「Mrs.」と結婚の有無によって差別的に敬称が使い分けられていました。

既婚・未婚によって区別をつけ、呼び方を変えるのが女性に限られているのは男性優位社会の名残です。そのため近年では、結婚の有無にかかわらず、公的な場では女性への敬称として「Ms.」が使われるようになっています。

黒人をAfrican Americanと呼ぶ

African American Model Riverside - Free photo on Pixabay (567925)

アメリカの黒人のことをAfrican Americanと呼ぶのも、ポリティカル・コレクトネスの影響の代表例だと言えるでしょう。

とても悲しいことですが、1960年代前半までアメリカでは「分離すれど平等」という悪名高い原則のもと、憲法によって黒人差別が合法化されていました。

さらには黒人に対する呼称として、白人が黒人を差別し卑下する意味合いで使われる「二グロ(黒んぼ)」という表現が新聞報道などでも一般的に用いられていたのです。
Non-Violence Peace Transformation - Free image on Pixabay (568574)

しかし、黒人による権利獲得のための公民権運動が1960年代に盛り上がりを見せる中で、「二グロ」という非常に侮蔑的な呼称を変えようとする動きが出てきます。

白人によって差別され迫害されてきた黒人は、「アフリカ系アメリカ人」という表現を生み出し、自らの誇りと尊厳を回復するために、白人から押し付けられた「二グロ」という呼称に対抗してそれを使い始めました。

今では「二グロ」はどぎつい差別表現として認識されるようになり、公の場で使われることはなくなりました。公民権運動の産物であり「アフリカ系アメリカ人」という呼称がすっかり定着したのです。

過剰な正義に人々は疲れきっている

Woman Portrait Girl - Free photo on Pixabay (567926)

以上でご紹介したように、ポリティカル・コレクトネスは多くの点において社会によい影響をもたらしていると言えるでしょう。

社会の構造や制度を抜本的に変えるわけではありませんが、呼称を変更することなど小さな変化を生み出すことを通じて、主に女性に対する性差別や有色人種に対する差別・偏見などを克服しようとするからです。

しかし、このようなポリティカル・コレクトネスの概念を独りよがりな正義を振りかざすための口実にしている人も少なからず存在します。

ここからは、過剰な「正義」が押し付けられることによって社会に漂っている疲弊感について見ていきましょう。

メリークリスマスはキリスト教徒以外を差別する発言

Merry Christmas Xmas - Free photo on Pixabay (567927)

ポリティカル・コレクトネスの本来的な意味が忘れ去られ、その表面的な正義だけが暴走してしまった結果として、昨今の欧米社会では「メリークリスマス」という表現を公でも私的な空間でも使うことが批判されはじめています。

クリスマスを祝うのはキリスト教徒の宗教的な文化であって、社会にはマイノリティとしてイスラム教徒などその他の宗教を奉ずる人々がおり、「メリークリスマス」と言うのはマジョリティであるキリスト教文化をマイノリティに押し付ける差別的な行為だと言うのです。

もちろん、マジョリティがマイノリティを排除したり差別するのは決して許されることではありません。しかし、これまでの差別や迫害の歴史からマイノリティに対して過剰な配慮や忖度を行うようになった結果、マジョリティの生活が逆に圧迫されるケースもちらほらと出てきています。

不倫報道に関して家族以外の一般市民が謝罪を要求

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