2019年7月20日 更新

戦争とレイプは切り離せない関係?実際に起こった事件とは

戦争を経験したことがない私たちは、幸せなことに戦争中に本当に起こった出来事を知りません。戦場は男性だけの戦争の場所ではなく、女性にとっても戦場でした。何でもありなのが戦争なので、男性は殺されて当然で、女性はレイプされて当然とされたのです。

1946年、第二次世界大戦で敗戦国になった日本は、満州から日本人民間人の引き揚げを開始しました。博多港に上陸した
日本人引き揚げ者は、約1年半で139万人もいました。

その中には、ソ連兵や北朝鮮の保安隊兵士に強姦され身ごもった女性、上陸寸前、絶望して博多湾に身投げした女性もいました。保養所では、身ごもった女性の中絶手術が行われました。

極悪非道なスターリンの侵略戦争の犠牲となり、女性たちは、何度も「地獄の責め苦」に苛まれました。

乱暴に日本人女性を奪う

Eye Manipulation Tears - Free photo on Pixabay (491976)

平和な時代の日本国民が「知りたくない、思い出したくない、正視できない」のが、1945年、ソ連が対日参戦した日ソ戦争で、満州と北朝鮮で良心を完全に失っていた鬼畜・ソ連軍兵士たちによる日本人女性強姦事件です。

犠牲となった日本人女性は、無能・無策・無責任な旧日本帝国陸軍の最高指導者たちと高級参謀たちが引き起こした満州事変と、それに続く満蒙開拓団送り込み政策の犠牲者です。

満州に侵入した100万人のソ連軍は、外部との一切の通信交通を遮断し、世界の目から隔絶された中で群れをなして、被占領国の日本人を老若男女問わず襲いました。

刃向かう者は全て殺害

People Man Cry - Free photo on Pixabay (491980)

ソ連兵の強奪は、夜陰に乗じてとか盗むとか奪うとかではなく、トラックを横付けにし、運送屋のようにせっせと運びました。「何年たった後でも、夜中にエンジンの音を耳にするとぞっとする」という日本人もいました。

満州・北朝鮮におけるソ連軍の日本人虐待は、口ではいい表せないほど、今でもぞっとするほどひどい残虐な行為でした。暴行と強奪は日常的で、野獣のように乱暴なやり方で女を奪い、抵抗するものは片っぱしから殺しました。

集団の目の前で強姦

Child Suffering Look - Free image on Pixabay (491983)

10歳の子供であろうが、70歳の老婆であろうが、人前でも白昼でも、雪の上でも躊躇なくレイプされました。女性たちは、丸坊主になり顔に墨を塗り男装して逃げようとしましたが、ソ連軍は一人ずつ胸を触って女性であることを確認して連れていきました。

あわてて発車しようとしていた日本人女性の乗った列車はソ連軍によって止められ、ひとり残らずおろされた女性は、白日の下、夫や子供や公衆の面前で集団レイプされました。

中絶手術は麻酔なし

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満州から命からがら引き揚げ船で帰国の途に着くと、船は博多港に着き、福岡県筑紫郡二日市町にあった「二日市保養所」に連れて行かれ、当時の日本では違法だった中絶手術が強制的に行われました。

驚くことに麻酔薬がなく、女性たちは麻酔なしで痛みに耐えなければなりませんでした。さらに、妊娠後期の場合は中絶ではなく出産をして、出てきた赤子の首を絞めたり、頭にメスを刺すなどして絶命させていました。

「外地」でレイプされて妊娠すると「不正妊娠」と呼ばれ、被害者であるにもかかわらず「正しくない妊娠をした者」とされ、意思とは関係なく国の指示によって中絶をさせられたのです。

同盟国の中国市民に対しても悪事

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1969年の中国共産党第九回全国代表大会で、毛沢東がソ連の満州出兵に触れた際、「当時のソ連の軍紀は退廃そのものだ」と恨めしげに語りました。

1945年8月19日、ソ連軍が満州に入った瞬間から、その相当数の将兵は敗戦した日本人に強奪と暴行を振るっただけでなく、同盟国であるはずの中国の庶民に対しても悪事をさんざん働きました。

特に強奪とレイプは満州の大衆に深い恐怖感を与えました。彼らは白昼堂々と倉庫の中のものを盗み出し、町で売りさばき得た金を着服し、夜になると泥酔状態で臭気をまき散らしながら、町中「マダム」を捜し回りました。

満州には、夜になるとソ連軍兵士が街角に現れ、通行人を止めては携帯物品を強奪し女性を追い回し、時には銃をもって民家に押しかけました。

兵器を持ち家庭や事務所に押し入る

War Soldiers Warrior - Free photo on Pixabay (491988)

兵器をもった100万人のソ連兵は、群れをなして日本人の各家庭や会社の事務所に押し入り、手当たり次第、金めのもの時計、貴重品、衣類などを略奪しました。

窓を閉じ、扉に鍵をしめ、更には入口を釘で打ちつけていても無駄でした。ソ連軍は、抵抗するもの、阻止しようとするものは容赦なく射殺しました。軍隊が本気で民家に侵入しようとするならば、そんな程度のものを打ちこわすのはいとも簡単で、家屋は無残にたたき壊されました。

北朝鮮では白昼堂々街道で暴行

Soldiers Military Usa - Free photo on Pixabay (491990)

北朝鮮に侵入したソ連兵は、夫や子供がいようが誰がいようが、少女から老婆まで、公衆の面前で白昼堂々と、街道にて通行中の日本人女性をレイプしました。汽車が通らないため歩いてくる途中で1日数度もレイプされました。

元山か清津では、ソ連軍に慰安婦の提供を強いられ、引き受け者の人数不足を補うものをくじ引きで決めたりして、日本婦人全員レイプされました。

慰安婦を強要させられ、絶望して自殺する女性たちも少なくありませんでした。

日本人男性がソ連兵に対し女性を差し出す

Weapon Violence Children - Free photo on Pixabay (491991)

敗戦後に、ソ連兵や日本に恨みを持つ現地の人々から襲撃を受けるようになり、なんと!開拓団の男たちは、ソ連兵に治安を守ってもらうことと引き換えに、同じ日本人の女性を差し出して「性接待」を行わせていました。

このとき、開拓団の男たちは女性たちにに「減るもんやないし」「ロシアの人と付き合えて良かったやないか」と言っては性暴力を正当化しました。

女性たちは満州でのレイプに加え、身内のはずの男たちに人身御供として差し出され、レイプの被害に遭わされました。

人道的ではない強姦被害

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病院や産婦人科は患者であふれかえりました。10~20歳くらいの娘がタンカに乗せられ運ばれたのを見た人は、上からまともに直視できませんでした。

全員裸で、まだ陰毛も生えそろわない幼子の恥部は紫色に腫れ上がり、原形をとどめていませんでした。太ももには血がベッタリつき、顔をゆがめて何か聞き取れない声を発していました。

モンペをはぎ取られ、下腹部を刺され、腸が切り口から大量の血と一緒にはみ出しているにもかかわらず、恥部が紫色に腫れあがっている娘や、乳房を切られて片目だけ開けて死んでいる娘もいました。

日本での戦時中に怒った凶悪事件

Air Force Academy Cadet Military - Free photo on Pixabay (491995)

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