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男女の二人連れや恋人同士を意味する「アベック」という言葉は、現在ではほとんどというか、まったく使われなくなってしまいました。それは、アベックの代わりに、アメリカから入ってきた「カップル」という言葉にその座を奪われたことが原因ですが、ほかにも何か要因があったのでしょうか?
一説には、差別用語になるのではないか、という懸念からあえて使用を自粛しだしたという声もあるようです。男同士のカップルや女同士のカップルが世間的にも認められるようになった昨今、男女の二人連れだけを指すような言葉は、同性同士の二人連れに対する差別用語だというのがその理由です。
いずれにしても本来のフランス語の「avec=アベック」は性別などに無関係な単語。それがいつのまにか男女二人連れや恋人同士を表す和製フランス語になり、そしてさらに差別用語だと言われ…、avecは、きっと、「心外だ」と文句を言っているかもしれませんね。
一説には、差別用語になるのではないか、という懸念からあえて使用を自粛しだしたという声もあるようです。男同士のカップルや女同士のカップルが世間的にも認められるようになった昨今、男女の二人連れだけを指すような言葉は、同性同士の二人連れに対する差別用語だというのがその理由です。
いずれにしても本来のフランス語の「avec=アベック」は性別などに無関係な単語。それがいつのまにか男女二人連れや恋人同士を表す和製フランス語になり、そしてさらに差別用語だと言われ…、avecは、きっと、「心外だ」と文句を言っているかもしれませんね。
アベックのような死語
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では、この「アベック」のように今や死語になってしまった言葉には、ほかにどんなものがあるのでしょう。
チョベリバ
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これは、1990年代の後半に、女子学生や若者たちの間で使われていた流行語です。「チョウ(超)ベリー(very)バッド(bad)」を省略した言い方で、意味は「超大変悪い」、つまり「最悪よりもさらに悪い」と言っている言葉です。
この反対語は、「チョベリグ」(超ベリーグッド=超大変よい)で、チョベリバと同時代に流行りました。
この反対語は、「チョベリグ」(超ベリーグッド=超大変よい)で、チョベリバと同時代に流行りました。
アウトオブ眼中
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これは、1980年代に大学生の間で使われはじめて1990年代の後半に流行の最盛期を迎えた若者言葉です。「out of(~から出て)眼中」で、「眼中にない、論外だ、問題外だ」といった意味で使われていました。
シカトやネグレクトなどのように相手をまったく無視するといった言葉ではなく、相手の存在を意識したうえでの言い回しです。例えば、何人かの会話の中て、「隣のクラスのA子なんてどう?」→「あんな子はアウトオブ眼中だよ」などのように使われていました。
シカトやネグレクトなどのように相手をまったく無視するといった言葉ではなく、相手の存在を意識したうえでの言い回しです。例えば、何人かの会話の中て、「隣のクラスのA子なんてどう?」→「あんな子はアウトオブ眼中だよ」などのように使われていました。
マブい
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この言葉の語源は、江戸時代の盗賊言葉で、それが時代を経て不良言葉になり、1970年代に若者の間で使われるようになったとのことです。この言葉の意味は、「美しい」とか「かっこいい」です。
「マブい」の「マブ」は、「マブダチ」などに使われているように「本当の、本物の」といった意味を表しています。
「マブい」の「マブ」は、「マブダチ」などに使われているように「本当の、本物の」といった意味を表しています。
わけわかめ
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1980年代のはじめに使われはじめた言葉で、「わけがわからない」と海藻の「わかめ」とをかけあわせた、いわばギャグのような言葉です。「わけわからぬ」→「わけわか…」→「わけわかめ」のような感じて流行っていったようです。
そのままずばりの「わけがわかんないよ」という意味を表しています。
そのままずばりの「わけがわかんないよ」という意味を表しています。
使う言葉は時代とともに変化する!
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言葉は、その時代の社会的背景や人々の暮らし方に応じて変化していきます。本来の正しい日本語も、言い方は変わらないけれど、意味するものが微妙に変わっていったりします。が、流行語となるとなおさらのこと、その寿命はとても短くて、今回紹介したような死語になってしまうものも少なくありません。
流行語をつくって一過性で楽しむのもまたそれはそれで、その時代の背景を物語るものとして存在価値はあると思われますが、それによって正しい日本語が隅に追いやられ、同時に、正しい日本語を理解できないような子どもや若者が増えるのは避けたいものですね。
流行語をつくって一過性で楽しむのもまたそれはそれで、その時代の背景を物語るものとして存在価値はあると思われますが、それによって正しい日本語が隅に追いやられ、同時に、正しい日本語を理解できないような子どもや若者が増えるのは避けたいものですね。
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