目次
- 男色とは
- 男色の類語
- 男色の歴史
- 男色が行われていた時代
- 文献上の最古の記録
- 源氏物語にも記されている
- 江戸時代には陰間が流行っていた
- 男色が流行ったきっかけ
- 僧侶の女犯が島流しだった
- 戦場に女性がいない
- 出世の近道だった
- 男色だった戦国武将
- 武田信玄
- 上杉謙信
- 伊達政宗
- 大内義隆
- 徳川家康
- 藤原頼長
- 美少年を使った仕事も流行
- 若衆歌舞伎
- 女形
- 陰間
- 陰間の仕事内容
- 陰子
- 舞台子と飛子
- 男色を学べるおすすめの本
- 日本男色物語:奈良時代の貴族から明治の文豪まで
- 男色の日本史
- 江戸文化から見る 男娼と男色の歴史
- 男色の景色
- 武士道とエロス
- まんが日本史BLばなし
- 男色に対しての現代人の意見は?
- 男色!BL!
- むしろ差別する現代がおかしい
- ロマンがある
- 歴史にも色々あって面白い
- 強い戦国武将が男色だったのは少しショック
- 男色の歴史は深い
男色とは
via pixabay.com
“男色”とは『男の同性愛』を指します。「だんしょく」または「なんしょく」と読みます。‘ホモセクシャル’や‘ゲイ’などの単語の方がピンとくる方も多いのではないでしょうか。
元々は中国から伝わった言葉で、日本伝来後は寺院や武家、歌舞伎といった男社会の中で独自の発展を遂げていきました。又この日本の“男色”文化の歴史は国際的な目線で見ても古代ギリシャに匹敵するとも言われております。
そんな日本の“男色”の文化について歴史を通じて紐解いていきましょう。
元々は中国から伝わった言葉で、日本伝来後は寺院や武家、歌舞伎といった男社会の中で独自の発展を遂げていきました。又この日本の“男色”文化の歴史は国際的な目線で見ても古代ギリシャに匹敵するとも言われております。
そんな日本の“男色”の文化について歴史を通じて紐解いていきましょう。
男色の類語
via pixabay.com
“男色”と似た意味合いを持つ言葉で‘衆道’があります。‘若衆道’の略であり、‘若道’‘若色’という別名もあります。この‘衆道’は“男色”とは違い特定の人同士での“男色”を指し、武士同士の“男色”と限定されています。
元々は「主君への忠義、命を捧げて死ぬ事」と言った意味合いの言葉として存在していましたが、次第に“男色”という意味合いに変化していきました。変化した明確な時期は不明とされていますが、承応2年に江戸幕府が残した文献で確認する事が出来ます。
元々は「主君への忠義、命を捧げて死ぬ事」と言った意味合いの言葉として存在していましたが、次第に“男色”という意味合いに変化していきました。変化した明確な時期は不明とされていますが、承応2年に江戸幕府が残した文献で確認する事が出来ます。
男色の歴史
via pixabay.com
‘BL’や‘ホモセクシャル’、‘ゲイ’などと言った同性愛に関する言葉をよく耳にするようになったことや、LGBTへの理解を求める人達の活動などを目にする様になったのはここ数年のことである為、これらはごく最近の事であると思われる方も多いでしょう。
しかし、それらを含む“男色”には非常に長い歴史が存在しています。次はそんな“男色”の文化の歴史について現在確認出来ている文献などを元に詳しくご紹介していきましょう。
しかし、それらを含む“男色”には非常に長い歴史が存在しています。次はそんな“男色”の文化の歴史について現在確認出来ている文献などを元に詳しくご紹介していきましょう。
男色が行われていた時代
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日本での“男色”が行われていた時代は古代にまで遡ることが出来ますが、主に奈良・平安時代から江戸時代になります。仏教伝来と共に“男色”は広まり、江戸前期には最盛期を迎えます。
それ以降は女性の人口増加やキリスト教の浸透、また風紀の乱れを齎す等といった理由によって取り締まりが行われるようになり次第に衰退します。しかし明治後期から大正・昭和にかけて再び新たな“男色”の文化が芽吹き、江戸川乱歩を始めとする多くの文豪の作品の題材にもなっていきました。
それ以降は女性の人口増加やキリスト教の浸透、また風紀の乱れを齎す等といった理由によって取り締まりが行われるようになり次第に衰退します。しかし明治後期から大正・昭和にかけて再び新たな“男色”の文化が芽吹き、江戸川乱歩を始めとする多くの文豪の作品の題材にもなっていきました。
文献上の最古の記録
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前述でも触れてきた通り、日本の“男色”の文化は古代にまで遡ります。というのも“男色”にまつわる文献上の最古の記録が「日本書紀」の神功皇后の項に記されており「〜2人の神官がおり、2人は親密な関係にありました。その内1人が病気で亡くなると、もう1人も悲しみのうちに傍で自死し共に同じ場所に埋葬されます。
その後その地域では何日もの間、日中にも関わらず夜の様に暗い状態が続いた。」といった内容の記述があり、これが最古の“男色”の記録ではないかとされています。ただし、この項の内容には諸説あり“男色”とは関係ないという解釈もあります。
その為、もしこの記述が“男色”としての意味合いで描かれている話ならば最古の記録と言えるでしょう。
その後その地域では何日もの間、日中にも関わらず夜の様に暗い状態が続いた。」といった内容の記述があり、これが最古の“男色”の記録ではないかとされています。ただし、この項の内容には諸説あり“男色”とは関係ないという解釈もあります。
その為、もしこの記述が“男色”としての意味合いで描かれている話ならば最古の記録と言えるでしょう。
「阿豆那比の罪」に関連する神社 - 神社と古事記
「「阿豆那比の罪」に関連する神社」という記事です。『日本書紀』記載の謎の罪、日本初のボーイズラブ(BL)?
阿豆那比の罪(阿豆那比之罪、あづなひのつみ/あずないのつみ)とは、『日本書紀』神功皇后の段に記載されている罪の一つである。
『古事記』や他には見えない。文脈や文意が不鮮明であり、どのような罪なのか。神社へのアクセス、行き方、御朱印情報、祭りや由緒など。
源氏物語にも記されている
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また古典文学として有名な紫式部の「源氏物語」でも“男色”にまつわる内容の話が記されています。特に有名なのが、物語の中で光源氏が空蝉という女性と距離を縮める為に弟の小君に手を出すという話です。
数々の“男色”の描写により現代になって紫式部は腐女子であったと言われるようになりました。しかし、当時“男色”というのはいたって普通に行われていた事で、現代と違い異端のものとして考えられていなかったことから紫式部が腐女子というのは些か違うかもしれません。
数々の“男色”の描写により現代になって紫式部は腐女子であったと言われるようになりました。しかし、当時“男色”というのはいたって普通に行われていた事で、現代と違い異端のものとして考えられていなかったことから紫式部が腐女子というのは些か違うかもしれません。
江戸時代には陰間が流行っていた
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陰間とは歌舞伎における用語で、修行中でまだ舞台に立つことの出来ない女形の少年のことを指しました。このことから「陰の間の〜」から転じて陰間という言葉が生まれました。
また女形の修行の一環として彼らは男性と性的な関係を結ぶこともありました。その為、芝居小屋と併設した陰間茶屋というものが誕生し、やがては“男色”の目的に特化した独立したタイプの陰間茶屋が流行していきました。
そこで働く少年たちは女装している者がほとんどでしたが、独立タイプの陰間茶屋になってからは次第に男性の格好のままの者も増えていったそうです。
また女形の修行の一環として彼らは男性と性的な関係を結ぶこともありました。その為、芝居小屋と併設した陰間茶屋というものが誕生し、やがては“男色”の目的に特化した独立したタイプの陰間茶屋が流行していきました。
そこで働く少年たちは女装している者がほとんどでしたが、独立タイプの陰間茶屋になってからは次第に男性の格好のままの者も増えていったそうです。
男色が流行ったきっかけ
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日本での“男色”の歴史は深く時代は古代にまで遡ることが出来ます。また、それ以降の時代においてもいたって普通に“男色”が行われていたことや江戸時代にはそれを専門とする茶屋なども存在しておりました。
それでは何故ここまで“男色”が流行ったのでしょうか。それには多くの要因があり、当時の日本は“男色”が行われやすい環境であったことが伺えます。この項では、そんな“男色”が流行ったきっかけをご紹介していきます。
それでは何故ここまで“男色”が流行ったのでしょうか。それには多くの要因があり、当時の日本は“男色”が行われやすい環境であったことが伺えます。この項では、そんな“男色”が流行ったきっかけをご紹介していきます。
僧侶の女犯が島流しだった
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前述にもありますが、“男色”は仏教伝来と共に広がっていきました。というのも仏教では修行が煩悩や執着を断つものとしてあったからです。その為、僧侶は異(女性)との接触を始め、性的関係を結ぶことが禁じられていました。
もし戒律を破り異性(女性)と関係を持った場合、女犯(にょぼん)と言われ寺法に従い破門・追放、または島流しの刑に処されました。これにより異性ではなく同性、つまり“男色”が寺院の中で行われるようになっていきました。
もし戒律を破り異性(女性)と関係を持った場合、女犯(にょぼん)と言われ寺法に従い破門・追放、または島流しの刑に処されました。これにより異性ではなく同性、つまり“男色”が寺院の中で行われるようになっていきました。
戦場に女性がいない
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