目次
- 昭和美人について
- 昭和美人の特徴
- 色が白い
- 黒髪美人
- 眉毛をいじりすぎていない
- ナチュラルメイク
- 素の美しさを持っている
- 素朴な雰囲気がある
- 品格がある
- 昭和美人のメイク
- 太くてしっかりした眉毛
- 肌作りはナチュラルに
- アイライナーは控えめに
- チークはシャープに入れる
- リップは控えめな色にする
- 昭和美人の髪型
- 派手な色に染めない
- 前髪に特徴あり
- きっちりまとめる
- 昭和美人と平成美人の違い
- 昭和美人より平成美人のほうが身近
- 昭和美人より平成美人のほうがスタイル重視
- 昭和美人のほうが大人っぽい
- 昭和美人はアイドルが多い
- 昭和美人の芸能人
- 加賀まりこ
- 吉永小百合
- 八千草薫
- 竹内まりや
- 南沙織
- 岩下志麻
- 昭和美人は美しすぎる人が多い
昭和美人より平成美人のほうが身近
via pixabay.com
『昭和』の芸能人は、「共感できないほど、世界が違う人」という人が好まれました。芸能人を紹介するときに『スター』という言葉を使ったのも、この時代独特のものです。『美人』も、生まれつきの美人ですから、今よりかなり少ない数になってしまいますよね。
『バブル経済』が崩壊してからできた『平成』は『困難』な時代でしたから、『スター』ではなく「癒し系」など、身近で励ましてくれるような『美人』が好まれるようになったんです。なので、見た目の造形やスター性より、内面の優しい人が『美人』とされるようになりました。
『バブル経済』が崩壊してからできた『平成』は『困難』な時代でしたから、『スター』ではなく「癒し系」など、身近で励ましてくれるような『美人』が好まれるようになったんです。なので、見た目の造形やスター性より、内面の優しい人が『美人』とされるようになりました。
昭和美人より平成美人のほうがスタイル重視
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激動の『昭和』から、困難の『平成』に変わってからは、全てのことで、今までの価値観がガラッと変わりました。今まで正解だったことが、不正解に。不正解だったことが、正解になるほどだったので、多くの人が混乱しました。全ての人が夢を見ていた時代が終わったんです。
『美人』の解釈も、『造形』より『雰囲気』になりました。『バブル経済』時、『スーパーモデル』が大流行し、「ガリガリにや痩せていなければ美人じゃない」という流行りの後は、「痩せていることだけが美しいことではない」など、顔だけでなく体も『トータル』で美しいことが『美人』の条件になったんです。
『美人』の解釈も、『造形』より『雰囲気』になりました。『バブル経済』時、『スーパーモデル』が大流行し、「ガリガリにや痩せていなければ美人じゃない」という流行りの後は、「痩せていることだけが美しいことではない」など、顔だけでなく体も『トータル』で美しいことが『美人』の条件になったんです。
昭和美人のほうが大人っぽい
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年々、『科学技術』が発達してきているからか、生まれ持っての『骨格』が違ってきているのか、同じ『二十歳』でも、『昭和』と『平成』では、驚くほど見た目の年齢があります。まるで、親子ほど違って見える人もいますよね。価値観がガラッと変わったというのも大きいのでしょう。
『バブル経済』の時代では、若い女性として『女子大生』がもてはやされ、男性は女子大生と遊ぶのが、ちょっとした『ステイタス』でした。その後『女子高生』がもてはやされ、今では、そのような『ステイタス』はなくなりました。
『バブル経済』の時代では、若い女性として『女子大生』がもてはやされ、男性は女子大生と遊ぶのが、ちょっとした『ステイタス』でした。その後『女子高生』がもてはやされ、今では、そのような『ステイタス』はなくなりました。
昭和美人はアイドルが多い
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『スター』が求められた時代には、本物の『アイドル』がたくさんつくられました。今では、その人が何をどう思っているかで、「美人or美人じゃない」に分けられることが大いにありますが、『昭和』のアイドルは、『意思』を持つことが許されないほど、「ただ笑顔でかわいく」が求められました。
そして、見た目や中身で、どんどん美しくなる『美人』が増えた今では、『美人』=『アイドル』ではなく、『意思』を持って、いろんな生き方を選んだり、職業についたりすることが素敵だとされます。『アイドル』も、嘘か本当か、SNSなどで、どんどん発信していくことが『トレンド』です。
そして、見た目や中身で、どんどん美しくなる『美人』が増えた今では、『美人』=『アイドル』ではなく、『意思』を持って、いろんな生き方を選んだり、職業についたりすることが素敵だとされます。『アイドル』も、嘘か本当か、SNSなどで、どんどん発信していくことが『トレンド』です。
昭和美人の芸能人
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だんだん、『昭和』について『理解』することができて『納得』することができてきましたか?
『昭和』と『平成』って、全く違うといっても過言でないくらい、本当に全然違うんです。なので、時代が違うと生まれなかった『芸能人』も、たくさんいるのでしょう。
ここでは、そんな「昭和美人の芸能人」について、わかりやすく紹介していきます。
『昭和』と『平成』って、全く違うといっても過言でないくらい、本当に全然違うんです。なので、時代が違うと生まれなかった『芸能人』も、たくさんいるのでしょう。
ここでは、そんな「昭和美人の芸能人」について、わかりやすく紹介していきます。
加賀まりこ
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加賀 まりこ(かが まりこ)さんは、1943年12月11日、東京都出身。身長 156cm。『有限会社活動屋』所属の女優です。デビュー以来、『奔放な言動』でマスコミを賑わせ、「小悪魔」「和製ブリジット・バルドー」と呼ばれました。
家族は芸能一家で、小学生の時から、澁澤龍彦翻訳の『マルキ・ド・サド選集』を愛読し、思ったことは何でも口に出し、1人で『オードリー・ヘプバーン』の髪型にするため美容院に行くほど早熟な子供でした。高校生になると、六本木や麻布、飯倉のレストラン「キャンティ」に、通っていました。
篠田正浩と寺山修司に路上でスカウトされ、『東京タワーは知っている』でデビュー。数々の映画や、CMで、プロフェッショナルな演技力と、小悪魔的なルックスで人気を呼び、常に歯に衣着せぬ発言、かつ強気であったため「生意気」のレッテルを貼られ、尖ったキャラクターイメージに。
家族は芸能一家で、小学生の時から、澁澤龍彦翻訳の『マルキ・ド・サド選集』を愛読し、思ったことは何でも口に出し、1人で『オードリー・ヘプバーン』の髪型にするため美容院に行くほど早熟な子供でした。高校生になると、六本木や麻布、飯倉のレストラン「キャンティ」に、通っていました。
篠田正浩と寺山修司に路上でスカウトされ、『東京タワーは知っている』でデビュー。数々の映画や、CMで、プロフェッショナルな演技力と、小悪魔的なルックスで人気を呼び、常に歯に衣着せぬ発言、かつ強気であったため「生意気」のレッテルを貼られ、尖ったキャラクターイメージに。
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20歳の時、次々に舞い込んでくる仕事に嫌気がさし、半年先のスケジュールまでキャンセルして、単身パリに渡り、『イヴ・サン=ローラン』『フランソワ・トリュフォー』『ジャン=リュック・ゴダール』『フランソワーズ・サガン』らと交友しました。
帰国を考えていた時、演出家『浅利慶太』から舞台出演の打診をされ、帰国後、劇団四季の舞台『オンディーヌ』に出演。連日大入りの大盛況で、日生劇場始まって以来の大成功となり、初めて女優としての喜びを知り、女優業に本腰を入れ始めました。今は、6歳下のドラマ演出家と事実婚しています。
帰国を考えていた時、演出家『浅利慶太』から舞台出演の打診をされ、帰国後、劇団四季の舞台『オンディーヌ』に出演。連日大入りの大盛況で、日生劇場始まって以来の大成功となり、初めて女優としての喜びを知り、女優業に本腰を入れ始めました。今は、6歳下のドラマ演出家と事実婚しています。
吉永小百合
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吉永 小百合(よしなが さゆり)さんは、1945年3月13日、東京都出身。身長155 cm。女優、歌手です。特に、1960年代を代表する、映画女優で、10年間で70本以上の映画に出演し、数多くのレコードを出しました。夫は、フジテレビディレクター、共同テレビ社長、会長、取締役相談役を歴任しました。
1957年、ラジオドラマ『赤胴鈴之助』でデビュー。テレビドラマ『赤胴鈴之助』でテレビデビュー。1959年、松竹映画『朝を呼ぶ口笛』で映画デビュー。1962年、『キューポラのある街』ヒロイン役で出演。ビクターから『寒い朝』でレコードデビュー、橋幸夫とのデュエットした『いつでも夢を』も大ヒット。
1957年、ラジオドラマ『赤胴鈴之助』でデビュー。テレビドラマ『赤胴鈴之助』でテレビデビュー。1959年、松竹映画『朝を呼ぶ口笛』で映画デビュー。1962年、『キューポラのある街』ヒロイン役で出演。ビクターから『寒い朝』でレコードデビュー、橋幸夫とのデュエットした『いつでも夢を』も大ヒット。
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1960年代、「日活の看板女優」として、『浜田光夫』とコンビの『純愛&青春映画』は、日本映画界を一世風靡し、ブロマイドが、あまりの売れ行きに店頭から姿を消すなどの現象が起こりました。また、『松原智恵子』と『和泉雅子』と合わせて「日活三人娘」と呼ばれました。
ともに青春時代を歩んだ世代の人は、自らのことを『サユリスト』と呼ぶことがあります。特に『団塊の世代』と呼ばれる『70歳代』にかけての世代に多く見られ、一般大衆はもとより、芸能人や著名人にも幅広く存在しています。
ともに青春時代を歩んだ世代の人は、自らのことを『サユリスト』と呼ぶことがあります。特に『団塊の世代』と呼ばれる『70歳代』にかけての世代に多く見られ、一般大衆はもとより、芸能人や著名人にも幅広く存在しています。
八千草薫
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八千草 薫(やちぐさ かおる)さんは、1931年1月6日、大阪府出身。身長154cm。宝塚音楽学校卒。『柊企画』所属の俳優です。幼少時に父を亡くし、母子家庭で育ちました。思春期は、戦時中で、自宅も空襲で焼け、飢えていたことから華やかな世界に憧れました。
1947年、『宝塚歌劇団』入団。1952年、『源氏物語』の初演で、絶大な評判と人気を博し、『美貌・清純派の娘役』として、宝塚の一時代を風靡しました。宝塚在団中から『東宝映画』に出演し、『お嫁さんにしたい有名人』で、たびたび首位に輝きました。1957年、歌劇団を退団。
1947年、『宝塚歌劇団』入団。1952年、『源氏物語』の初演で、絶大な評判と人気を博し、『美貌・清純派の娘役』として、宝塚の一時代を風靡しました。宝塚在団中から『東宝映画』に出演し、『お嫁さんにしたい有名人』で、たびたび首位に輝きました。1957年、歌劇団を退団。
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宝塚退団後は、テレビドラマでのおっとりとした『良妻賢母役』が好評で、多くの作品に出演しました。1957年、人気・好感度絶頂時に、親子ほどの年の差があり、3度目の結婚になる、映画監督『谷口千吉』と結婚。おしどり夫婦として知られ、2007年に死別するまで連れ添いました。
2017年、膵臓にがんが見つかり、2018年、手術を受け、ドラマ収録や舞台『黄昏』の主演もこなしましたが、2019年に入って肝臓にがんが見つかったため、休業して治療に専念しています。
2017年、膵臓にがんが見つかり、2018年、手術を受け、ドラマ収録や舞台『黄昏』の主演もこなしましたが、2019年に入って肝臓にがんが見つかったため、休業して治療に専念しています。
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