目次
- 西鉄バスジャック事件の概要
- 「ネオ麦茶事件」とも呼ばれている
- 西鉄バスジャック事件の詳細
- 2ちゃんねるに犯行メッセージ
- 2000年5月3日に事件発生
- 牛刀を振りかざしてバスを乗っ取る
- 高木千代子(仮名)さんを切り付ける
- トイレを許された女性が脱出し通報
- 見せしめの為に山口由美子さんを刺す
- 30代女性が窓から飛び降りて脱出
- 塚本達子さんの右肩を刺す
- 50代男性が窓方飛び降りて脱出
- 塚本達子さんを更に刺す
- 男性4人、刺した3人を降ろす
- 15時間半後に犯人確保・人質の救出
- 「もっと殺せばよかった」と供述
- 西鉄バスジャック事件の犯人「谷口誠一」について
- 家庭環境
- 小学生時代
- 中学生時代
- 高校生時代
- 2ちゃんねるにハマり始める
- ハンドルネームは「ネオ麦茶」
- 母や妹への暴力
- クローゼットに刃物類を忍ばせていた
- 犯行声明文を作成していた
- 肥前療養所に入院していた
- 西鉄バスジャック事件を起こした動機とは?
- 2ちゃんねるでの煽り
- 精神医療センターへ入院させた両親への恨み
- 犯人谷口誠一のその後・現在
- 京都医療少年院へ収容
- 被害者遺族への謝罪
- 刑期を終え、社会復帰
- 被害者遺族の言葉
- 西鉄バスジャック被害者「山口由美子さん」について
- 山口由美子さんについて
- 谷口誠一と面会
- 魚包丁をみるとフラッシュバッグ
- 山口さん目線でドラマ化へ
- 現在も講演会などで活動中
- ネオ麦茶事件後の2ちゃんねる(現在5ちゃんねる)の反応
- 2ちゃんねる管理人の西村博之さんがテレビでコメント
- 事件前の犯行声明は2ちゃんねるの売名行為だった?
- 被害者・被害者遺族の悲痛な叫びが消えることはない
via pixabay.com
精神医療センターには入院したくなかった谷口誠一。入院の際は両親に「この恨みは絶対に忘れないからな」と強く毒づきました。しかし、入院中は態度を変え、自ら挨拶を行うなどしっかりした振る舞いを見せます。その様子は、家庭内暴力など起こさないように見える程でした。
その変貌ぶりに、面会に来た母親は驚きます。しかし、日によっては「帰れ!」と怒鳴り散らす日もあったようです。4月26日に初の外出許可をもらい、自宅でゲームなどをした後に精神医療センターに戻っています。
大人しい振る舞いをしやり過ごしていた谷口誠一ですが、腹の底では両親に対する恨みが渦巻いていたのでしょう。
その変貌ぶりに、面会に来た母親は驚きます。しかし、日によっては「帰れ!」と怒鳴り散らす日もあったようです。4月26日に初の外出許可をもらい、自宅でゲームなどをした後に精神医療センターに戻っています。
大人しい振る舞いをしやり過ごしていた谷口誠一ですが、腹の底では両親に対する恨みが渦巻いていたのでしょう。
犯人谷口誠一のその後・現在
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西鉄バスジャック事件後、谷口誠一はどうなったのでしょうか?その現在を探っていきます。
京都医療少年院へ収容
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西鉄バスジャック事件後の、2000年9月末に行われた佐賀家裁では谷口誠一の精神鑑定が行われました。そして、彼に「乖離性同一障害」という診断が下されます。さらには「統合失調症」の発症も懸念されました。その結果、京都医療少年院への送致が決定的なものになったのです。
京都医療少年院に収容された彼は、反抗的な態度を取ります。職員の指示には従わないようにしていました。また、両親が面会に来ても拒絶をしています。
京都医療少年院に収容された彼は、反抗的な態度を取ります。職員の指示には従わないようにしていました。また、両親が面会に来ても拒絶をしています。
被害者遺族への謝罪
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2006年1月に、谷口誠一は仮退院となります。その時に、亡くなった塚本さんの次男Oさんと40分ほど面会をしました。谷口は謝罪の言葉を繰り返しながら床に頭をつけました。また、Oさんが問い詰めようとしても、会話にならなかったと言います。しかし、Oさんは面会して良かったと思ったという証言が、当時の記事に書かれています。
依然として気持ちの整理はできていないが、一生をかけて償ってほしい気持ちが強くなったとの事です。
依然として気持ちの整理はできていないが、一生をかけて償ってほしい気持ちが強くなったとの事です。
刑期を終え、社会復帰
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谷口誠一は仮退院の後、保護司の元で過ごし刑期を終えました。同年の2006年3月26日に、22歳となった谷口は、保護期間満了のため正式に出所する事になりました。
少年院を出所した後の谷口誠一は、心を入れ替えて更生する事ができたと言われています。しかし、犯罪を犯し少年院を出所した者が、25歳までに再犯してしまう割合は全体の4割と高い数字が出ているようです。谷口は、本当に更生する事ができたのでしょうか?
少年院を出所した後の谷口誠一は、心を入れ替えて更生する事ができたと言われています。しかし、犯罪を犯し少年院を出所した者が、25歳までに再犯してしまう割合は全体の4割と高い数字が出ているようです。谷口は、本当に更生する事ができたのでしょうか?
被害者遺族の言葉
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週刊新潮の2018年12月27日号に、塚本さんの長男Sさんの言葉が掲載されました。谷口誠一が少年院を出る日が迫っていた時の事です。その担当官が谷口の手紙を持ってきた事があったのです。今まではまったく反省の色がなかったが、来年に仮退院の審査があるから謝罪させたいと言うのです。
この機を逃さず謝罪させたいとの事でしたが、出所のための方便だと感じました。結局会うことを拒否し、谷口とは一度も会った事がないそう。谷口の家族を含めて、どこにいるのかは知らないとの事。今会ってしまうと、恨む気持ちが強くなって立ち直れなくなると思うので、会いたくないといった内容を、Sさんは話していました。
この機を逃さず謝罪させたいとの事でしたが、出所のための方便だと感じました。結局会うことを拒否し、谷口とは一度も会った事がないそう。谷口の家族を含めて、どこにいるのかは知らないとの事。今会ってしまうと、恨む気持ちが強くなって立ち直れなくなると思うので、会いたくないといった内容を、Sさんは話していました。
西鉄バスジャック被害者「山口由美子さん」について
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西鉄バスジャック事件の被害者の中の1人、「山口由美子さん」とはどういう人物なのでしょうか?これから紹介していきます。
山口由美子さんについて
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事件当日、山口由美子さんは、塚本達子さんと一緒にバスに乗っていました。塚本さんは元小学校の先生で、その後は幼児教育を開いていたようです。山口さんが子育ての事で悩んでいた事から、2人は旧知の仲だったようです。その日は2人で博多のどんたくを見に福岡の天神に行く予定でした。
西鉄バスジャックに巻き込まれた時に、塚本さんは亡くなり、山口さんは10数カ所を牛刀で刺され重症を負います。しかし、現在は回復しています。
西鉄バスジャックに巻き込まれた時に、塚本さんは亡くなり、山口さんは10数カ所を牛刀で刺され重症を負います。しかし、現在は回復しています。
谷口誠一と面会
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重症を負った山口さんは、事件から5年後に谷口誠一の収容先の京都医療少年院にやってきて面会しています。最初の面会の時、谷口は頭を深々と下げて謝罪したそうです。その時に、山口さんは谷口の背中をさすりながら励ましたといいます。しかし、罪を許したという訳ではなく、これからの生き方を見ている事を伝えたのでした。
山口さんは、彼の辛さを感じ涙が溢れたと発言しています。この後、山口さんの所に、谷口から手紙が届きました。また、面会は3回行われたのです。
山口さんは、彼の辛さを感じ涙が溢れたと発言しています。この後、山口さんの所に、谷口から手紙が届きました。また、面会は3回行われたのです。
魚包丁をみるとフラッシュバッグ
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事件の被害者でありながら、谷口誠一を思いやる優しさをみせた山口由美子さん。しかし、実際には事件のトラウマがしばらく続きました。事件から5年ほど経っても、そのトラウマは生活の中で出てきてしまったそうです。鮮魚店などで魚包丁を見ると、とたんに凄惨な想い出がフラッシュバックするという苦しい経験を持っています。
怪我が完治して日常生活を送れるようにまで回復しても、トラウマが何年も続いている様子を見ると、西鉄バスジャック事件の恐ろしさを感じます。
怪我が完治して日常生活を送れるようにまで回復しても、トラウマが何年も続いている様子を見ると、西鉄バスジャック事件の恐ろしさを感じます。
山口さん目線でドラマ化へ
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