2022年6月10日 更新

皇室で双子出産は絶対タブー!皇室で産まれた双子の末路とタブーの理由とは

日本の象徴的存在の皇室には、様々な制約が存在し、メディアなど取り扱う側にも多くのルールが設けられています。その一つが、双子の話。皇室に向けて、双子に関する質問をするのはタブーだと言われています。なぜここまで、皇室側は双子話に敏感になるのでしょうか。そこには、日本古来の言い伝えと皇室の悲しい過去が存在するのです。

皇室の子ども・出産事情が複雑すぎる!

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皇室では、結婚や季節に応じた習わし事、出産・子育てなど様々な制約が存在します。それこそ、一般国民では想像もできないような、一昔前と思わざるを得ない風習が存在するのです。まずは、皇室とはどういった存在なのか、皇室にまつわる出産や子ども事情について解説していきましょう。

皇室とは

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皇室とは天皇やその子どもたち、親族で形成された一家のこと。位置づけとしては日本国民ですが、日本国籍を持たない唯一の存在です。日本国籍を持っていないということは、選挙権や国民に与えられる権限そのものがないということ。

例えば日本国民に当たり前のように与えられている人権や、住む場所を自由に決められる居住移転の自由、職業を選んだり外国籍を取得することもできません。細かいところでは、1日に摂取できるカロリーも決められています。また皇室に属する皇族には、苗字がありません。

高円宮家や秋篠宮家、常陸宮家は苗字ではなく、天皇から与えられた称号です。ただし皇族が女性だった場合、嫁ぐことで日本国籍を取得し苗字を得ることもできます。直近であれば、小室圭さんに嫁いだ秋篠宮家長女の眞子さん。日本国籍を取得したため、居住区をアメリカに移したり、ある程度自由に職業を選択できるようになりました。

天皇とは

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皇室の中でも特別な存在と位置付けられる天皇。社会の授業では、日本国の象徴的存在と習いましたね。現在は、日本の政治に一切関与しない存在ですが、古くは大王(おおきみ)と呼ばれ、国の実権を握っていました。

国の象徴という位置付けが定着し始めたのは、敗戦後です。敗戦後、民主化を進める中で、王のように天皇1人が実権を握ることに矛盾が生じるようになりました。そのため、政治などに関する表舞台から天皇を排除する動きが加速し現在に至ります。

ちなみに、初代天皇は西暦76年に誕生した神武天皇です。現在(2022年4月時点)の天皇である徳仁様は、126代目にあたります。

結婚に関するルール

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基本的に、皇室に属する皇族はどんな人物とでも結婚が許されています。しかし小室圭さんに嫁いだ眞子さんを見てもわかるように、国民の意思が大きく反映されてしまうのです。眞子さんの場合は、結婚まで数年を要しましたが、過去には相応しくないなど様々な理由で発表される間もなく破談になった事例も存在します。

また結婚と同じように、離婚することも可能です。ただし離婚した場合は皇族身分を放棄しなければならず、過去1度も離婚例は存在しません。天皇やそのご子息である皇太子は、皇室を離脱することが許されていません。つまり、実質離婚が許されていないと捉えて問題ないでしょう。

ちなみに女性皇族が一般家庭に嫁ぎ離婚した場合も、再び皇族に戻ることはできません。離婚後も一般人として、元嫁ぎ先の姓を名乗ることになります。

子ども・出産に関するルール

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皇室では、出産する子どもの人数や性別に、明確なルールは存在しません。つまり、子どもが1人であろうと5人であろうと問題ないのです。また、出産した子ども全てが女性だったとしても、男児を催促される等はないとされています。

過去には女性の天皇も存在したため、女児でも問題ないのです。しかし天皇=男児という意識が皇室内外に根付いているため、現天皇の長女愛子様に関しては賛否両論、様々な議論が飛び交っています。

そして気になるのは、皇室に双子が誕生した場合の処遇です。皇室には、双子が産まれたら「なかったことにする」「特別な処遇が存在する」など、双子に関する噂が存在します。

産まれた双子はどうなるの?

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皇室には、双子を忌み嫌っているという噂や、双子の存在を認めないという噂が存在します。その理由は、昭和天皇の三笠宮崇仁親王には双子の妹が存在したと、週刊誌に掲載されたためです。日本の貴族階級として存在した京都の華族に育てられた山本静山さんは、実は昭和天皇の双子の妹だったという記事が1979年に掲載されました。

皇族との繋がりや、本来家族であるはずの父母の情報に矛盾があったなど、赤裸々に語られたのです。しかし最も歴史が古い宮家の1つである伏見宮家に双子が誕生していたこと、そして2人とも敦子女王・知子女王として称号が与えられていたことから、宮内庁は双子説や双子に関するタブー説を否定しました。

敦子女王・知子女王姉妹の他に、平安初期の仁明天皇と正子内親王や第12代景行天皇の皇子も双子だったと言われています。どちらも双子と書かれた記録はありませんが、出生時期や年齢から双子説が有力視されているのです。

双子は災いのもと

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古くから日本には、双子に対する憎悪が存在しました。皇室は、良くも悪くも古くから伝わる伝統や儀式を今もなお続けている場所ですから、双子への対応も古(いにしえ)の言い伝えを尊重しているのではないかと考えられています。そのため、双子タブー説が囁かれているのです。

ではなぜ、日本には双子に関する悪い噂や伝統があったのでしょうか。ここからは、双子は災いのもととされた理由と、言い伝えについてご紹介して行きます。

畜生腹

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情報や医療技術が乏しかった頃、日本では1回の出産で1人しか産まないことが一般的でした。それなのに、双子として同時に2人の子どもを出産すると”畜生腹”と呼ばれ差別を受けることが多かったのです。畜生腹とは、1度に多くの子どもを産み落とす家畜や犬に例えて作られた言葉。

たくさん子どもを産む姿は、まるで人間ではなく動物のようだと蔑まれたりもしたのです。また仏教の教えでは、生前悪い行いをした人間が動物に生まれ変わる世界があるとされています。六道の1つである畜生道と呼ばれる世界です。

つまり、動物のように1度に複数人の子どもを産むのは畜生で、双子を出産した女性は前世で悪い行いをした外道という見られ方だったのです。当時はあまりに忌み嫌われたため、双子を出産した女性は離縁され追い出されることもありました。

男女の双子は心中者の生まれかわり

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当時双子の中でも、男女の双子は特に忌み嫌われていました。その理由は、前世で心中した男女が、母親の腹を借りて現世で添い遂げるために産まれてきたと考えられていたからです。現在と違い昔は、家柄や身分、職業などで添い遂げられない男女が少なくありませんでした。

添い遂げられなかった男女が心中することも多く、あまりの多さから罰則が設けられていたほどです。ですから男女の双子は、不吉というよりも「汚らわしい」「いやらしい」と言われていました。実は現在でも、年配女性の間でこうした考え方は根強く残っています。

実際に男女の双子を持つ母親が、見ず知らずの老婆に「汚らわしくいやらしい!連れて歩くな!」と言われたケースがありました。

神話

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英雄として扱われることの多い日本武尊(やまとたけるのみこと)。古代史に登場し、皇族として扱われたり神のような神秘的存在として祀られることもある、謎の多い人物です。実は日本武尊も、双子だったと言われています。

日本武尊は父親である景行天皇の命令を誤解し、兄である大碓命(おおうすのみこ)を殺害してしまいました。そのため、双子は不吉をもたらす存在という印象を与えてしまったようです。またギリシャ神話にも、カストルとボルックスと呼ばれる双子の兄弟が登場します。

双子座の2人です。そこにイーダースとリュンケウスというもう一組の双子が登場しますが、双方に争ってしまい結局残されたのはボルックスただ一人となりました。ギリシャ神話にも、双子が争いのもとであるかのように描かれていることから、ヨーロッパでも双子が好意的に受け止められていなかったことがわかります。

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