2019年8月16日 更新

神風特攻隊の遺書!家族に宛てた若き特攻隊員の想い 【海外の反応も】

神風特攻隊員が家族や恋人、婚約者に宛てた遺書には、どのような想いが綴られていたのでしょうか。戦争には若き特攻隊員の命とともに散った人生、そしてドラマがありました。特攻は洗脳か、愛する者たちを守るための自己犠牲だったのか、海外の反応と併せてご紹介します。

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映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」は特攻を美化しているとも言われますが、実は反戦映画として描かれているのです。特攻に駆り立てた軍や上官の本音とたてまえ、特攻隊員たちの苦悩をスクリーンの中で再現しています。

鹿児島県知覧町で富屋食堂を経営していた鳥濱トメは、特攻隊員たちから「お母さん」と慕われていました。トメは特攻隊員を我が子のように慈しみ、時には私財を投げ売ってまで献身的な愛を尽くしたのです。しかし、トメには特攻に志願した隊員たちを引き止めることはできませんでした。

我が子のように慈しんだ隊員たちが、次々と特攻へ出撃する哀しみに耐え続けたのです。軍と特攻隊員、そして鳥濱トメの3つの視点でそれぞれの特攻を描いています。

映画「永遠の0」

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「永遠の0」は零戦のパイロットでありながら生きることに固執し、「臆病者」と言われた宮部久蔵を主人公に描いたフィクション作品です。特攻に散った若者たちの全てが、「お国のために」と喜んで死んだわけではありません。家族への想い、描いていた自分の未来に対する心残りもあったでしょう。

死にたくないという気持ちを必死に堪えて出撃した人もいたでしょう。「永遠の0」は国のために戦うことを選びながら、生きて家族の元へ帰りたいと願う人間としての本心を描いているのです生への執着は人間の本質です。その本質を自ら否定して特攻することの意味を考えさせられます。

「死にたくない、生きて家族の元へ帰る」と言っていた宮部久蔵がなぜ特攻に志願して散ったのか、残された家族の気持ちや生活はどうなったのか、死にゆく者と残された妻の人生の終わりと始まりに戦争と特攻の惨さや虚しさ、怒りと哀しみ覚えるでしょう。

映画「TOKKO-特攻-」

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映画「TOKKO-特攻-」は、特攻の真実に迫ったドキュメンタリー映画です。当時の記録フィルムを取り入れながら、当時の戦争を追体験させてくれます。特攻に出撃しながらも搭乗機のトラブルで帰還した、4人の元特攻隊員のインタビューを軸にしながら生と死について語りかけます。

元特攻隊員が語る戦争と特攻に装飾はなく、実にリアルな当時に胸を揺さぶられるでしょう。アメリカ在住の日系アメリカ人の女性と、日本在住のアメリカ人が手を組んで制作したというのも面白いところです。国家主義とは何なのか、愛国心を失った今が本当の平和なのかを考えるきっかけにもなるでしょう。

アメリカ人の感性で追って浮き彫りにされた真実は、海外の反応にも影響を与えました。

特攻隊員の遺書の想いを次世代に活かそう!

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若くして散った特攻隊員の遺書に綴られた想いは、今を生きる人達へ大きなメッセージを残しています。彼らは命と引き換えに、日本の地に種を落としました。「たとえ国が敗れても、やがてその種が芽を出し、美しい日本を取り戻すだろう」という愛国の種です。

特攻隊員が命を燃やして護ろうとした美しい日本と、頑なまでに純粋な彼らの精神は今どこにあるのでしょうか。残る者たちと未来の子たちに、何を託したのでしょうか。彼らが信じた日本は、今の時代にあるのでしょうか。若者たちは何を想って死を決したのか、それを永遠に語り継がなければいけません。

愛する人たちの側にいる喜び、家族がいる幸せを忘れてはいないでしょうか。今の時代に生きる幸せを、もう一度考えてみましょう。それは、彼らには叶わなかった夢なのです。最後に永峰肇・海軍曹長が詠んだ時世の句をご紹介します。「南溟に たとえこの身が 果つるとも いくとせ後の 春を想へば」

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