2019年8月26日 更新

魂の重さは21グラム?消えた21グラムの正体や実験内容とは!

皆さんは、魂の存在を信じますか?一説によると「魂には重さがある」と言われています。1900年代はじめにアメリカ合衆国のダンカン・マクドゥーガル博士は独自の実験を行い、「魂の重さは21グラムである」と発表しました。今回は、魂の重さについて考えてみましょう。

「21グラムは発汗の水分の重さである」というアウグストス・クラーク博士の意見に対して、ダンカン・マクドゥーガル博士は、「発汗や乾燥などによる重量の変化も踏まえた上での測定結果である」と反論しています。

また、アウグストス・クラーク博士は、犬の測定結果に重量の減少が見られなかった点について、犬には血液を冷却する機能が備わっていないため、減少が見られなかったのだと主張しました。

これに対し、ダンカン・マクドゥーガル博士は、犬の測定結果に変化が見られなかったのは、犬には魂がないためであると、さらに反論しました。

マクドゥーガル博士のその後

Doctor Tomograph I Am A Student - Free photo on Pixabay (571878)

奇妙な発表によって世間に衝撃を与えたダンカン・マクドゥーガル博士ですが、その後はいったいどうなったのでしょう。気になる人も多いのではないでしょうか。

アウグストス・クラーク博士との論争に決着はついたのでしょうか。魂の重さが21グラムであるという説は、どうなったのでしょう。ダンカン・マクドゥーガル博士のその後についてご紹介します。

魂の写真撮影に成功?!

Photo Camera Photography Old - Free photo on Pixabay (571879)

相次ぐ批判によって沈黙を余儀なくされていたアウグストス・クラーク博士でしたが、1911年には沈黙を破り、再び多くの人を驚かせました。なんと今度は、患者の死の瞬間を撮影し、魂の写真を撮影することに成功したと発表したのです。

またしても「The New York Times」の一面に大々的に取り上げられることとなったダンカン・マクドゥーガル博士ですが、結局、魂の存在を証明するまでには至りませんでした。撮影された写真には、白く光るものが写っていたようです。

「星間エーテル」に似た光

Nature Forest Trees - Free photo on Pixabay (577739)

ダンカン・マクドゥーガル博士は、さらに亡くなった人間の頭の周りには「星間エーテルに似た光」が存在していると主張しました。星間エーテルとは、かつてエーテル理論をもとに仮定された光の波動において必要とされる物質のことです。

エーテル理論は、アインシュタインの特殊相対性理論の登場などによって否定された物理学における理論です。エーテル理論の衰退によって、星間エーテルの存在を信じる人もほとんどいなくなったようです。

オカルト好きからは支持される存在に

Pentacle Magic Occultism - Free photo on Pixabay (571881)

奇妙な実験や発表を重ねた結果、学者としてのダンカン・マクドゥーガル博士は、完全に世間から離れた存在になってしまいました。彼は、医者としては多くの否定的な意見を受けたにも関わらず、一部のオカルト好きのあいだでは熱狂的に支持される存在になりました。

オカルトというと、まず不気味なイメージを抱く人も少なくないのではないでしょうか。オカルトとは、本来「神秘的なもの」「超自然的なもの」といったような意味の言葉です。スピリチュアルな要素を信じたい人々にとって、ダンカン・マクドゥーガル博士が試みた実験はとても魅力的なものだったのでしょう。

関連する映画「21グラム」

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続いては、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督が2003年に製作したアメリカ映画「21グラム」についてご紹介します。こちらの作品は、アウグストス・クラーク博士の「人間の魂の重さは21グラム」という説に由来して製作されたものです。

内容としては、心臓を巡って2人の男性と1人の女性のあいだで繰り広げられるヒューマンドラマです。命の重さや大切なものの存在など、深く考えさせられる作品となっています。

魂はどこにある?

Ball Dark Gloomy Glass - Free image on Pixabay (571882)

私たち人間には個性があり、それぞれ違った考え方や感じ方をします。顔や骨格などといった外見的な違いがあるだけでなく、内面的な部分にも違いがあるということは明らかでしょう。

私たちは同じ人間でありながら、なぜそれぞれが異なった物の見方や考え方をし、内面的な魅力に差が生まれるのでしょうか。この内面的な違いを生み出す鍵こそが「魂」であると考えられるのではないでしょうか。

しかし、魂の存在を確認するのは簡単なことではありません。魂はいったいどこにあるというのでしょう。魂の所在には、いくつか説があります。代表的なものを次にご紹介します。

魂は頭部にある説

Psychology Confidence Professional - Free photo on Pixabay (572107)

1つ目の説は「魂は頭部にある」というものです。脳はいまだに解明されていない、計り知れない能力や可能性を秘めているとも言われています。また、私たちの脳は通常、全体の10パーセント程度しか使われていないとも言われています。

私たちの脳は日々、様々な情報を処理し続けており、記憶したり考えたりしています。人それぞれ考え方や感じ方が違うのは、脳の違いによるものであると考えると、魂が頭部にあるという考え方は最も有効であると言えるのではないでしょうか。

魂は心臓にある説

Heartache Chest Pain Hurt - Free photo on Pixabay (572189)

2つ目の説は「魂は心臓にある」というものです。悲しい気持ちになった時には心が痛んだり、気持ちが高揚した時には胸が熱くなったりと、感情が動く度に無意識に胸のあたりを意識する人も多いのではないでしょうか。

思考や感情は脳によって生まれると考えられますが、それでも心臓が魂と関わりがないわけではありません。心臓は、全身に血液を循環させるポンプの役割を果たしています。心臓が止まれば人間は死んでしまうことから、心臓が魂の所在であるという考え方もできるでしょう。

キリスト教世界での魂

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キリスト教は旧約聖書と新約聖書の2種の聖書に基づいた宗教であり、そのうちの新約聖書には魂の復活や死後についても記されています。

キリスト教においては、魂を人間の不滅の本質として捉えています。すべての人間は生まれながらに罪人であると考えられており、キリスト教が定める信仰を深めた者だけが天国に行けるものと信じられています。

キリスト教には、カトリック教会やプロテスタントをはじめいくつかの宗派が存在するため、同じキリスト教でも信仰の方法や基準などに異なるところがあるようです。

そもそも魂は本当に存在するのか?

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