2019年10月22日 更新

まな板ショーの内容と語源は?ストリップの歴史と実情とは

今では、見ることが出来ないストリップのまな板ショー。現代では考えられない、本番行為をするパフォーマンスのことです。この記事では、まな板ショーの内容や語源、ストリップの歴史や、現在の様子など、詳しくご紹介していきましょう。

目次

まな板ショーとは?

Love Girl Sexy - Free image on Pixabay (96668)

有名芸能人の娘が、あらゆる理由からAV女優となり、ストリッパー転向かと言われ、ストリップの世界が再注目を集めています。ストリップやストリッパーの世界は、一般女性が触れる機会も少なく、漠然と卑猥な想像をしていたり、「ただ脱ぐだけ」と考えている人も多いでしょう。

しかし、ストリッパーとはただ服を脱いでいくのではなく、それらを魅せるショーやパフォーマンスをする人たちのことです。また、ストリップには長い歴史があり、ストリッパーの女性は、ストリップティーズとも呼ばれ、古くから大衆に愛された性的娯楽の一つになります。

今回POUCHSでは、ストリップの歴史や移り変わり、現在の様子など、知らない人も多いストリップの世界を詳しくご紹介します。

今は見ることができないストリップのショーの一つである「まな板ショー」についても、内容を詳しくご説明していきます。

また、POUCHSは恋愛やライフスタイルを応援する記事を多数取り扱っています。こちらの記事も、ぜひ一緒にご覧ください。

まな板ショーとはどんなショーか

Dance Girls Bracing - Free photo on Pixabay (96671)

ストリップでは、外国人女性の踊り子たちも、数多く働いていました。ストリッパーである彼女たちは、劇場内に設置されたステージで衣服を脱ぎ、ダンスを踊る他に、個室で身体を売ることもしていたと言われています。これらは、ストリップ劇場に客を呼び込むための、大きな要素だったと言われているのです。

ストリップ劇場への集客で、もう一つ大きな要素と言われていたのが、「まな板ショー」と呼ばれるショーになります。まな板ショーとは、ストリッパーの女性がステージ上で、男性と本番行為をするショーのことです。

しかし、ストリッパー女性の相手は、プロのダンサー男性ではなく、一般人であり、その場に居合わせた客でした。つまり、ストリッパーと来客した男性が、ステージ上で性行為をするのが、まな板ショーと呼ばれるショーなのです。
People Man Woman - Free photo on Pixabay (96678)

主に外国人女性の踊り子が、ステージ上でセックスを披露するのがまな板ショーと呼ばれるショーであり、その相手役は一般男性の客の中から選ばれました。相手役になるためには、大金を払う必要はなく、ジャンケンやその他のゲームなどで勝った者が選ばれたと言われています。

仕事とはいえ、外国人女性ストリッパーは、数十人の前で、初対面の男性との性行為を披露する必要があったため、強い屈辱感を感じながら、股を開いていたことが想像できるでしょう。

いつの時代に行われていたか

Japan Osaka Night - Free photo on Pixabay (96685)

主に外国人女性ストリッパーが、来客男性と性行為をするまな板ショーは、1990年代に栄えていたと言われています。まな板ショーの発祥の地は関西のストリップ劇場です。

まな板ショーを始めに行ったのは、「大島椿」と呼ばれる日本人ストリッパーであるといった説や、外国人女性ストリッパーの「バローブレンダ」であったとも言われています。
Asia Ceremony Chinese - Free photo on Pixabay (96686)

まな板ショーの流れとしては、相手役の男性がステージに上がり、ズボン及び下着を脱ぎ仰向けに寝そべります。そういった男性側の準備の最中は、ストリッパー女性がダンスを踊り、他の観客たちを楽しませるのです。

男性の準備が完了後、男性器をウェットティッシュで拭き、避妊具を装着します。現代のフェラチオや手コキをする場合もあったようですが、勃起後挿入しそれらを披露するのがまな板ショーと呼ばれるショーです。挿入時間は5~10分程度と言われています。

まな板ショーの語源

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まな板ショーとは、本番行為を見せるショーのことです。昔は、本番行為が違法だったのではなく、昔も今も金銭をもらっての本番行為は禁止事項であり、違法行為となります。そういったことを隠すために、風俗業界では隠語が多用されているのです。

その一つが「まな板ショー」です。「なま」という性行為を連想させる言葉を、反転させたという説や、まな板で裁かれる魚の様子と、性行為の男性や女性の様子を類似していると考え、まな板ショーと呼んだなど、諸説あります。

他にも、板前が客前で魚をさばく様子を見せるショーと関連させ、まな板ショーという名前が付いたとも言われているのです。

どのようにして生まれた?まな板ショーの歴史

Sexy Fri Whip - Free vector graphic on Pixabay (96707)

今も昔も、金銭を受け取って性行為をすることは、禁止事項であり法律違反です。しかし、なぜまな板ショーと呼ばれるショービジネスが成立していたのでしょうか。

ここからは、まな板ショーの誕生した背景や、それらの歴史について、解説していきましょう。まな板ショーが誕生した背景には、日本の時代も関係していますし、ストリップの歴史も大きく関係しています。まな板ショー誕生秘話を知り、ストリップの世界をより深く知ってみましょう。

戦後すぐにストリップ劇場が生まれる

Amsterdam Canal City - Free photo on Pixabay (96717)

終戦1945年から、2年後の1947年1月に、日本で初めて一般的な形でのストリップが開催されたと言われています。場所は東京都新宿区の帝都座5階演芸場で、女性が裸体を披露する「ヴィーナスの誕生」という催し物が始まりました。

当時のストリッパー女性は「甲斐美晴」と呼ばれる女性です。戦後すぐのストリップショーでは、上半身は露出させていましたが、下半身や陰部は扇子で隠され、客側には見えないようにダンスを披露していたと言われています。

その後、こういったショーは摘発の対象になるといった知らせを受け、裸体でダンスをするストリップスタイルから、摘発を逃れるため、裸体で絵画のように扮し動かない「額縁ショー」になりました。

ストリップが女性器を見せるショーに変化

Slim Girl Beautiful - Free photo on Pixabay (96719)

一時は、裸体でダンスを披露するストリップショーは、摘発の対象とされていましたが、その後規制が緩和されたことによって、ストリップショーが過激さを持ち始めます。これまでのストリップショーでは、ダンサー女性の下半身を隠すことが一般的でした。

しかし、規制の緩和を受け、ダンサー女性の女性器を見せるショーへと変化していったのです。この頃になると、ストリップ劇場も増えはじめ、各店舗来客を求めるために、さまざま工夫を凝らしたショーを行ったと言われています。その一つが、行水ショーなどです。

さまざまなショーが誕生したことによって、ストリップ業界は、さらに過激さを増していったと言われています。この時代、女性器を露出させるショーに出演していた「一条さゆり」という人気ストリッパーがいましたが、摘発されたことから、ストリップショーが変わらず違法行為であったことがわかるでしょう。

過激化したストリップショーがまな板ショーへ

Implied Lingerie Woman - Free photo on Pixabay (96725)

1950年から60年にかけ、ストリップは一般的な娯楽として受け入れられ、ストリップショーの合間に、コントなどが行われることもありました。萩本欽一や坂上二郎、現在俳優として活躍する伊東四朗なども、これらのコントに参加していたと言われています。

1970年ころから関西地区が中心となり、ストリップショーで女性器を見せることが主流となり始めました。前項でご紹介した「一条さゆり」という女性が活躍したのも、この年代です。一条さゆりが摘発された後も、じょせいきを露出するストリップショーは継続していたと言われています。
Silhouette Woman Erotic - Free image on Pixabay (96726)

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