2019年11月8日 更新

江戸時代のセックスは現代より過激?庶民の性生活と性風俗産業

華やかな文化が花開き265年間続いた江戸時代、お江戸のセックス事情はどのようなものだったのでしょうか。 異性との出会い方や避妊方法、セックスの歴史を紐解きながら、江戸時代人気だった遊女の話や春画についてもご紹介します。

現代でも、自分以外の皆がどのようなセックスをしているかが気になって、ネットで色々検索したことがある方もいらっしゃるかもしれません。

これが江戸時代となるとどのようなセックスをしていたのか、興味津々なのではないでしょうか。
現代のように前戯に時間をかけずにスグ本番だった江戸時代、面倒くさがりの男性からしてみたら羨ましく思われるかもしれませんが、時代と共にセックス事情もファッションのように変化していくようです。

結婚後のセックスはかなりオープン

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時代劇でよく見かけるような、長屋以外の住居がほとんどなかった江戸時代。
「火事と喧嘩は江戸の花」という言葉にあるように、よく燃える紙と木でできた住居は、壁も薄く隣の声も筒抜けだったことでしょう。

今のように防音設備もありませんから、セックスで喘ぎ声でもあげようものなら、その声は長屋中に響いていたかもしれません。

もしかしたらその声に触発されて、あちこちで事が始まっていたのかもしれません。
このような状況ですから隠しようもなく、オープンにならざるを得なかったと言えるかもしれません。

夫婦のセックス平均回数

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”セックスレス”という特集を組めば、雑誌が売れるような悲しいこのご時世。
現代は娯楽がありすぎるのも原因の1つなのでしょうか。

今のように選び放題の娯楽が無い江戸時代では、暗くなれば”セックスをする”ということが、最大の娯楽だったのかもしれません。

ですから当時の夫婦は平均週2~3回はセックスしていたようです。
張型と呼ばれたいわゆる大人のおもちゃや、媚薬などを使ってセックスを楽しんでいたようです。

不貞行為には厳しい罰則

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一時期”昼顔”というドラマが話題になりましたが、現代でも男であれ女であれ「不倫」はリスクが伴うものです。
それでもやめられないのは、何か魔力のようなものがあるのかもしれません。

現代では離婚や慰謝料問題に発展しますが、江戸時代では「不倫」をするのも命がけだったようです。
当時は不倫のことを「不義密通」と呼ばれていましたが、江戸幕府の定めた「御定書百箇条」によると、密通した妻もその(不倫)相手も死刑だったようです。

更に驚くのは、浮気された夫が妻やその相手を殺しても、お咎め無しだったということです。
とは言え対面を重んじていたこの時代、妻に浮気されたからといって大事にしたくない時は、「首代」といって7両2分(現在の50万円程度)を支払うのが慣例だったそうです。

江戸時代といえば吉原遊郭

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時代劇でもお馴染みですから、江戸時代と言えば「吉原遊郭」を想像される方も多いのではないでしょうか。
当時も性を売り物とする職業は、芸者だったり飯盛女だったりと色々ありました。

この時代の吉原遊郭というのは、とにかく庶民の憧れの場だったそうです。
遊女の等級によって値段は変わってきますが、それでもそれなりのお金を持っていないと、遊女と遊ぶのは難しかった為、冷やかしと言われるお店に上がらずに見て回るだけの客も数多くいたようです。



吉原遊郭とは?

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吉原遊郭とは、江戸幕府によって公認された遊廓だったそうです。
始めは江戸日本橋近く(現在の日本橋人形町)にあり、明暦の大火(1657年3月2日 - 4日 江戸の大半を焼いた大火事)後、浅草寺裏の日本堤に移転し、前者を元吉原、後者を新吉原と呼んでいたようです。

江戸初期の確かな記録は無いようですが、中期には人口の3分の2が男性だったという記録があるそうですから、風紀を取り締まる為にも「吉原遊郭」は必要だったのでしょう。

遊女について

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多くの遊女は年季奉公という形で働かされていたので、時代劇でもよく見られるように貧しい家庭の子女が多かったようです。

一定の年限を働くか、遊女を購った金額を返却できれば自由になれますが、そこにたどり着くまでに性病などの感染症に罹患したり、栄養不良で身体を壊す遊女も多かった為、商品価値のない遊女や死期の迫った者は、葬儀等の手間を省くために店側が解雇をすることもあったようです。

生涯を遊郭で終える遊女も一部いたようですが、当然のことながらずっと現役だった訳ではなく、「やり手」「飯炊き」「縫い子」等に再雇用されていたようです。

高級遊女の花魁

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「花魁」と言えば”花魁道中”をイメージされる方も多いことでしょう。
遊女には等級があり、徳川9・10代将軍の頃までは、遊女の最高ランクは”太夫”と呼ばれていたようです。
”花魁”と呼ばれるようになるのはそれ以降のことで、美貌と機知を兼ね備えていなければなりませんでした。

花魁になると振袖新造と呼ばれる若い花魁候補や、禿とよばれる子供を従えており、気に入らない男性は相手にしなかったようです。

最上級の花魁となると揚代(売値)は 1両1分だったそうですが、江戸後期の庶民の年収は20~30両 ほどで、現在の貨幣価値に換算すると、1両=20万くらいのようですから、どれだけお金が必要かがおわかり頂けましたでしょうか。

セックスの歴史

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いつの時代もエロい事が大好きな男と女が多いようです。
ファッションのように時代の移り変わりと共に変化していっているようですが、時代を遡れば遡るほど本能に従って行動しているのではないでしょうか。

人間の誰もが持っているであろう物欲・食欲・性欲!ですから、快楽や好奇心と共に成長してきているはずです。
ここからはタイムマシーンにでも乗った気持ちになって、我々のご先祖様方がどのように快楽を貪ってこられたのかを覗いていこうではありませんか。

縄文時代

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現代とは違い、食べ物を確保することに1日の大半を費やしていたであろうこの時代。
狩りや漁に出る以外は、時間はかなりあったのではないでしょうか。

しかし、いかんせん人口が少なかった訳ですし、集落でかたまって生活していたのでしょうから、相手を確保することも難しかったことでしょう。

人生80年どころか100年まで生きるのではないかと言われる現代と違い、この時代は15歳まで生きられる確率も半分程度だったのではと言われていますから、人口を増やす為にもせっせとセックスに励んでいたのかもしれません。

平安時代

Byōdō-In Buddhist Temple - Free photo on Pixabay (739121)

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