2019年2月22日 更新

サイコパスの意味とは?身近にもいるサイコパスの特徴や見分け方

サイコパスとは一体どんな人の事をいうのか?サイコパスの特徴や傾向知りたい、また身の周りの人かサイコパスかどうか知りたい方、またはサイコパスに悩んでいる方のために、サイコパスについてまとめていきます。 また過去にサイコパスが起こした事件もいくつかご紹介します。

1989年アメリカにおいて元祖シリアルキラー、テッド・バンディが処刑されました。

テッド・バンディはいわゆるイケメンで高学歴という異色のセックスキラーで、映画化までされました。
セックスキラーテッド・バンディの犯行や名言、死刑に至るまでなどをご紹介いたします。
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セオドア・ロバート・バンディ(Theodore Robert Bundy、1946年11月24日 - 1989年1月24日)

バンディは、アメリカのシリアルキラーであり、誘拐、強姦、強盗犯です。
テッド・バンディは、イケメンの高学歴ながら、サイコパス(ソシオパス)と言われていました。
少なくとも1970年代から多数の若い女性を強姦、殺害するとともに死体に対する凌辱も行っていました。

バンディは、バーモント州で生まれ、母親は父親が誰かわからずにバンディを出産しました。
バンディは祖父母を父母と思い、母を姉と思わされ、育ってきました。

祖父は暴力的で、祖母はそんな祖父に対し鬱病を発症していたそうです。
バンディの母親も、実は祖父に孕ませられたのでは、とういう話もあります。
 ですが、祖父はなぜかバンディだけには暴力はふるったりせず、優しくしていたのです。


死刑執行の直前に、10年以上も否認してきた殺人事件について自白を始めました。
その自白で、1974年から1978年の間に7つの州で30人を殺害していることが明らかになった。おそらく被害はこの数字を上回るそうです。
Thieves Offenses Wanted · Free image on Pixabay (72687)


テッドは、ハンサムでスマートで、多くの女性が色めきたつような、容姿端麗で、高学歴の男性でした。
そんなバンディが学生時代に夢中になった唯一の女性がいます。

その彼女には一度は相手にしてもらえなかったのですが、その後、彼女にふさわしい男になろうと決意し努力します。
その後また彼女と再会し、今度は彼女のほうがバンディに夢中になり、婚約するが、すぐに破局してしまいます。

それからバンディの異常行動が始まりました。
アメリカにおいて多くの女性が性的暴行を受けたあとに、殺害されるという事件が起こりました。 

バンディはシリアルキラーに成り果てたあとも、ボランティア活動に参加していたり、一見犯罪を犯すはずがなさそうな好青年だったようです。
Ninja Warrior Japan · Free photo on Pixabay (72698)

彼の起こした事件は、のちに数々の映画が排出されるほど有名となっています。
実際に映画にでも出てきそうなほど、容姿端麗で高学歴で、セックスの相手にも困らなさそうな男性が女性に暴力をふるい、性的暴行を加えて殺害し、遺体を切断したり屍姦(遺体を犯すこと)をする、セックスキラーであったことが、当時の世間を震撼させたそうです。

テッド・バンディは逮捕後の裁判において死刑を宣告され、42歳のときに、死刑執行されています。

裁判の際も自身で弁護を行い、公判中に婚約までしていました。また、たくさんの人が彼に注目し、ファンレターまで送った人もそうです。
彼の死刑執行の様子は、日本ではありえませんが、新聞ではカラーの紙面で電気椅子での死刑の様子が掲載されたそうです。
Ghosts Gespenter Spooky · Free photo on Pixabay (73182)

その彼が死刑前に残した名言が、大変有名になり、現在でも語り継がれている名言です。
どのような名言かというと、

「俺には死刑こそが最もふさわしい。俺や俺みたいなやつから社会を守るには、それが当たり前のことだ」
というものでした。

ジョン・ゲイシー

Clown Creepy Grinning · Free photo on Pixabay (73185)

子供たちを楽しませるため、パーティなどでピエロに扮することが多かったことからキラー・クラウン(殺人道化・殺人ピエロ)の異名を持つ。
また、刑務所で書いたピエロの絵画は有名で、高値で取引されており、ジョニー・デップも購入したそう。

アルバイト料の支払いなどの名目で家に呼び寄せ、少年に性的暴行を加えたうえで殺害し、その遺体を自宅地下および近くの川に遺棄した。
殺害は、自身のホモセクシュアリティを隠すためにしたとされており、1972年から1978年の間に、少年を含む、33名を殺害したことが明らかになっている。(20歳までの少年)

彼の幼少期もまた悲惨なもので、期待していた息子が心臓に持病があると知り、落胆した父親から厳しい虐待を受けていた。
父親からの虐待で精神的にもショックを受け、度々パニック障害や心臓発作に見舞われていた。

家を出たゲイシーは葬儀場等のアルバイトに明け暮れ、やがて大手靴販売店に就職し、好成績を収める。
Bride And Groom Couple · Free photo on Pixabay (73197)

その後マリリンと結婚し、義父の所有するケンタッキーフライドチキンのマネージャーにもなり、成功を収め、人望も厚かったゲイシーは青年会議所の会長候補にも登りつめた。
眠らない男ゲイシーと呼ばれ、ボランティア活動等にも休まず力を注いでいたよう。
これは彼なりに父に認められたいという思いもあったようです。

だが結婚して3年後、15歳の少年ヴァリューズにに「ポルノ映画を見よう」と誘い出し、地下室で関係を持つ。
その際ゲイシーはヴァリューズにお金を払う。
その後もたびたびヴァリューズはゲイシーのもとを訪れ、お金を要求し、性交に及んでいたという。

しかし青年会議所の会長選挙を目前にして、ヴァリューズが、性的暴行でゲイシーを訴え、ゲイシーは不自然性交の容疑で逮捕される。

その後、妻との離婚が成立。
ゲイシーは服役中にも資格や法律相談員として勉強し、模範囚になる。
10年の服役を、わずか16ヶ月で終えて、釈放される。
釈放されたあと、父親が亡くなり、ゲイシーは目標を失うこととなる。

Grave Sky Cross · Free photo on Pixabay (73205)


その半年後再び少年に対する暴行容疑で逮捕されるが、原告が現れず不起訴になる。

その後ゲイシーはパーティーで知り合った少年を家に招き、ベッドをともにする。
目覚めるとその少年がナイフを持って立っており、恐怖を覚えパニックを起こし、少年を殺してしまう。
少年はサンドイッチを調理中、ナイフをもったままゲイシーを起こしに行ったそう。

それからゲイシーは殺人を習慣としてしまいます。

その後再び再婚をしたゲイシーは妻の連れ後とも暮らし地域でも尊敬され、休みの日には「ポゴ」というピエロに扮し、子どもたちを楽しませていたそう。
後にわかったのが、多重人格者で、「ポゴ」のときは安らぎをもてたそう。
Pierrot Masks Luna · Free photo on Pixabay (73231)

ゲイシーはその後も犯行を重ね、家に少年を招いては、多くの少年を交換後、殺害した。
多くの犯行はロザリオをゆっくりボールペンでねじり、首を絞めていたそう。
被害は増え続け、殺害は29人にも登ったそう。
そしてその多くを地下室に埋めていた。

死刑執行前にも、情慾を抑えきれなかったゲイシーは少年をうまく誘い、面会室でも犯行に及ぼうとするが、監守が通りかかり未遂となる。


1994年5月10日の深夜、彼の死刑執行が薬物注射により執行。
資産家の名士で、チャリティー活動に熱心な彼の犯行はアメリカ社会を震撼させたそう。

アルバート・フィッシュ

Moon Full Sky · Free photo on Pixabay (73958)

アルバート・フィッシュ(1870年5月19日 - 1936年1月16日)はアメリカ史上最悪と言われる、殺人者、人食者である。
「満月の狂人」(Moon Maniac)、「グレイマン」(Gray Man)、「ブルックリンの吸血鬼」(Brooklyn Vampire)などの異名で知られており、正確な数字はわからないが、本人は400人殺したと語っている。

アルバートもまた悲惨な幼少期を過ごしている。
5歳で父の死により孤児院に預けられる。
その孤児院で、鞭でぶたれたり、些細なことで厳しい罰則として暴行が日常的に行われていた。

Illustration Stalking Violence · Free photo on Pixabay (73248)

この鞭打ちがフィッシュに快感をもたらした。フィッシュはむち打ちを楽しみにし、快楽としていた。
幼い頃に与えられた苦痛と歪んだ性癖が後の事件を起こすの人格形成をすることになり、事件の一連をフィッシュは、「幼い頃の苦痛を他人に強いるため」と供実している。

1898年には母に紹介されたアナリーホフマンと結婚する。
6人の子供をもうけたが、19年目に妻に愛想をつかされ、離婚に至る。

これが引き金となりフィッシュは、自らに自傷行為を行い、生の肉を食べるようになる。
フィッシュは自分の子どもたちに自分を叩いたりするように命じたり、
自分の背中やいたるところに釘や針をさしており、背中からは29本の針が見つかった。
Sewing Thimble Pins Safety · Free photo on Pixabay (73259)

やがてフィッシュはあの手この手で誘い出し、拷問の末に、人肉を食べることをします。
本人は「特に子供のおしりの肉は、最高に美味しい」などと語っており、肉だけではなく、血や糞尿も食していたといいます。
彼自身なぜそんなことをしたのかという問いには、幼少期に受けた虐待により培われたと述べている。
犠牲者は主に貧しい黒人だったそう。


また彼は「神」が自身に殺人による「伝道」を指示したと主張していた。
精神科医は、フィッシュの中にはサディズムとマゾヒズムの両方が強烈に同居していると診断していると語る。

フィッシュ自身は、「他人に痛みを与えたり、反対に痛めつけてもらったりという欲求が昔からありました。痛いことならなんでも楽しんでいたように思います」と述べたそう。

1934年、少女を誘拐し、手紙を送ったことで、犯行が露わになり、逮捕されます。
フィッシュは1936年に死刑執行されています。
最後にフィッシュは「自分がなぜここにいるかわからない」といったそうです。

ジェフリー・ダーマー

Glasses Reading Spectacles · Free photo on Pixabay (73376)

ジェフリー・ダーマー(1960年5月21日-1994年11月28日)は、アメリカ合衆国の連続殺人犯。ミルウォーキーの食人鬼との異名がある。

ジェフリーの母親は情緒不安定で、つわりがひどく、薬物依存になっており、ジェフリーが妊娠中にも薬をたくさん飲んでいた。
そんな妻をよそにジェフリーの父親は仕事である研究に没頭し家庭を顧みなかった。
その影響でジェフリー自身も精神的に不安定な幼少期を過ごす。

学生時代は物静かな一匹狼で、父にもらった化学薬品で、一人で森をブラブラしては、虫の死骸やネズミや猫の骨をホルマリンにするため探してまわった。
生きたものこそ殺めなかったが、虫の死骸を木に突き刺すなどの遊びも行っていた。

ジェフリーは頭は良かったが、授業中には落ち着きがなくヤギの声真似などをして成績は振るわなかったうえに、周りからの評判は良いものではなかった。
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このころ、父母が離婚。
母は引き取るつもりであったがジェフリーは無反応だったそう。
母親はジェフリーの事を見捨てる姿勢は取らなかったが、ジェフリーはこの頃に自分が同性愛者であることに気付き、その苦悩と孤独を紛らわせるため、アルコールに逃避していた。学校でも登校前、酒を飲んだして問題になっていた。

高校を孤独のまま卒業したジェフリーは、19歳のヒッチハイカーの男性をマリファナで家に誘い出した。
音楽の趣味も一緒で彼好みだったので、話していてとても楽しかった。
その彼が「帰る」と言い出した途端、ジェフリーは、ダンベルで彼を殴り、気を失った彼を絞殺。

彼の服を切り裂き肛門を犯した。そのあとに腹部を切り裂き血を浴びた。
しばらく家に遺体を置いていたが、腐敗したために首以外は袋に詰め、森に捨てた。
これが彼のはじめての殺人である。

これをきっかけにジェフリーはより強くアルコール依存することになる。

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