2019年10月15日 更新

相良正幸とは?韓国人とのうわさや逮捕歴・現在についても

「奄美の狂犬」と呼ばれ地下格闘技界で名をはせていた相良正幸さんは、度々世間をにぎわせており韓国人との噂もありますが、相良正幸さんとはどのような人物なのでしょうか?また数々の逮捕歴もあり、そんな相良正幸さんの格闘家時代から逮捕後の現在までを調べてみました!

相良正幸は現在何している?

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相良正幸さんは度々逮捕されておりその度に世間をにぎわせ、半ぐれ集団アウトセブンのメンバーであることは有名となりましたが、そもそも相良正幸さんとはどのような人物なのでしょうか?

もともとは格闘家として活動をしていましたが、その後は半ぐれ集団として知らない者はいないほどと言われており、そんな相良正幸さんについて格闘家時代から現在までをご紹介していきます。

相良正幸(拳月)について

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地下格闘技界では有名な相良正幸さんは、「拳月(けんむん)」として活動をしていましたが、現在は半ぐれ集団のリーダーとして活動をしています。

そんな相良正幸さんが半ぐれ集団のリーダーとなる経緯までをご紹介していきます。

奄美の狂犬とも呼ばれていた

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相良正幸(さがらまさゆき)さんは、1984年5月14日生まれ、元格闘家で『拳月(けんむん)』として活動をしていましたが、相良正幸さんの家族や私生活は公開されていません。

ですが、相良正幸さんは鹿児島県奄美大島出身であると言われており、そして『奄美の狂犬』とも呼ばれていたことから、出身地は奄美大島で間違いようです。

また、格闘家としては抜群の身体能力をもっていると言われており、試合に勝った際には壁やコーナーポストを蹴り空中で一回転をする技を披露することもあったそうです。

山根道場所属のキックボクサー・総合格闘家

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相良正幸さんは、格闘技ジム山根道場所属のキックボクサー・総合格闘家でしたが、道場に殴り込みのように押しかけ、リングネーム「サップ西成」と戦って負けたことで、真面目に格闘技の道を歩みだしたそうで、そのためサップ西成さんは相良正幸さんに兄貴分のような存在と言われています。

また、2011年K-1リングで、長島☆自演乙☆雄一郎と対戦し、スリップした長島☆自演乙☆雄一郎を追撃し反則を繰り出すなど荒っぽい試合をしましたが、結果はダウンを奪われ相良正幸さんは判定負けとなっています。

アウトロー上がり

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相良正幸さんは、”アウトロー上がりの喧嘩ファイト”を信条として、リングに上がっており、そのスタイルに惹きつけられて応援していたファンが多くいました。

そのアウトロー上がりの荒々しさから「地下格闘技の猛者」とも呼ばれており、当時の経歴は詳しくはわかりませんが数々の功績を収めていたと言われています。

また、2011年に長島☆自演乙☆雄一郎と対戦した際には、相良正幸さんは顔に向かって蹴りをだしてしまいイエローカードをもらっていますが、普段のルールでは頭突きや肘、踏みつけも有なため思わずでてしまったそうです。

アマチュアの「強者」の看板選手

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相良正幸さんは、アマチュアの地下格闘技団体「強者」の看板選手だったことから、地下格闘技トーナメント”WARU下克上”のチーム対抗戦で、”強者チームの大将”として出場しています。

強者は2007年に立ち上げられ、ストリートファイトに明けくれている、不良の若者たちを集めた「地下格闘技」のイベントを主催していました。

創立者によると「さらに強い相手と戦いたい選手や、引退または挫折した選手に、戦いの場を提供してプロへの登竜門としたい」という主旨のもと創立したそうです。
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また、格闘技団体「強者」は、沖縄出身の山根真一さんという男性が創始したそうですが、山根真一さんは2014年に、知人の頭をビールジョッキで殴り逮捕され、2017年には恐喝で、山口組系組長とともに逮捕されています。

団体活動中は若者が「強者」のロゴ入りTシャツを着て、ミナミの飲食店や風俗店などに大会のポスターの提示を頼む営業活動をしていました。

そして、強者のTシャツや試合のDVDの販売などで利益を得ていましたが、強者は関係者が次々と傷害事件などを起こしたため、、2013年に解散しています。

その後キックボクシングをする

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相良正幸さんは、アマチュアの「強者」の看板選手として活動をしていましたがキックボクシングを始め、プロデビュー戦である、2008年11月2日銀次郎戦では判定負けをしました。

その後、リングで勝ち星を重ねていき、2013年にGLORYへ初参戦を果たし、2013年12月21日のアルトゥール・キシェンコとの対戦では活躍見せていましたが、一方的な試合展開となりダウンも奪われて判定負けをしてしまいました。

そして、この試合がプロ公式戦での最後の試合となりました。

半ぐれ集団アウトセブンのリーダー

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相良正幸さんは、半ぐれ集団アウトセブンのリーダーで、正式には「O7」と書いてアウトセブンと呼ぶそうですが、このアウトセブンは2013年に解散した「強者」のメンバーで構成されています。

アウトセブンは主に、暴対法や暴力団排除条例によって身動きがとりずらい暴力団に代わってみじかめ料を取り立てることをしており、その取り立てはかなり暴力的だったそうです。
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また、大阪の半ぐれグループには、現在解散している「アビス」が有名でしたが、比較的若い人間のグループで、反対にアウトセブンは相良正幸さんを個人的に慕う年長者が集まったグループです。

そのため、アウトセブンはが生き残った理由には、相良正幸さんの個性や人柄だったと言われています。

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