2019年9月11日 更新

金屏風事件の裏に潜むジャニーズの闇と中森明菜の悲劇とは

平成の初め、芸能界をにぎわせた「金屏風事件」をご存じですが。近藤真彦と付き合っていた中森明菜さんがジャニーズ事務所に騙されて会見を行ったとされている事件です。この事件にかんするデマや竹下昇元首相やSMAPの会見にも携わった小杉という人物などについて調べました。

目次

平成最初に芸能界が大騒動になった金屏風事件とは?

Woman Happiness Sunrise - Free photo on Pixabay (563613)

金屏風と聞くと、芸能人の結婚発表や結婚式など煌びやかでおめでたいイメージがありますね。ところが、今もなお語られ続けている芸能界で大騒動となった金屏風事件は、少し違うのです。事の発端は、昭和の歌姫と言われ、絶大な人気を誇っていた中森明菜さんとジャニーズのアイドル近藤真彦さんとの熱愛です。

当時、中森明菜さんは、抜群の歌唱力とアイドルには珍しいクールな雰囲気で大人気でした。王道アイドルの松田聖子さんと人気を二分しており、当時はクールな明菜ちゃん派とキュートな聖子ちゃん派で分かれていました。

近藤真彦さんは、1980年代に田原俊彦さん(トシちゃん)、野村義男さん(ヨッちゃん)とたのきんトリオのメンバーとしてデビューしたジャニーズのアイドルです。マッチの愛称で親しまれ、端正な顔立ちで一躍人気者になりました。
Live Concert Stage - Free photo on Pixabay (563898)

そのような人気絶頂のアイドル同士の熱愛は瞬く間に世に知れ渡りました。当時は、歌番組も多く2人が共演することもありました。中森明菜さんは、クールな見た目とは反対にとっても素直な方だったので、近藤真彦さんが歌っている姿をにこにこしながら見守ったりしていました。

今では、考えられませんが昭和のアイドルは交際が発覚したら比較的オープンにしていました。ですから、2人の関係は公然の事実であり比較的どちらのファンからも応援されていました。

しかし、2人の交際をよく思っていなかった人物がいます。当時、ジャニーズ事務所の副社長を務めていたメリー喜多川さんです。メリー喜多川さんが2人を別れさせようと画策し、前代未聞の金屏風会見を開いたと言われています。

SMAP解散などでジャニーズは闇が深いと言われていますが、それに通じるものがある事件です。ここでは、この金屏風会見が行われた経緯や中森明菜さんと近藤真彦さんのなれそめなど詳しく説明していきます。

昭和の歌姫だった中森明菜

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中森明菜さんは、素晴らしい歌唱力に加え同じ曲でも毎回衣装を変えていたりダンスパフォーマンスなど、エンターテイナーでもありました。そのため、昭和の歌姫として今なお昭和の歌姫として語り継がれています。

1982年(昭和57年)デビュー

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中森明菜さんは、幼いころからバレエを習っていましたがお母さんの影響で歌手になることを夢みます。当時、日本テレビ系で放送されていた「スター誕生」というオーディション番組に何度もチャレンジします。

16歳の時に3度目のチャレンジで本選まで進んだ中森明菜さんは、本選を合格しました。このオーディション番組で合格するとレコード会社と契約をするのですが、中森明菜さんはワーナー・パイオニアと契約を結びました。
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1982年(昭和57年)にシングル「スローモーション」でデビューしました。その後、2枚目のシングル「少女A」が大ヒットしました。それまでのアイドルはフリフリの衣装を着ていて、歌詞も可愛らしく元気な歌が多かったのですが、中森明菜さんはブラックを基調とした衣装を着てちょっと不良を連想させる「少女A」をかっこよく歌いあげました。

デビューから3年後の1985年(昭和60年)「ミ・アモーレ(Meu amor é・・・)」翌年の1986年(昭和61年)には「DESIRE -情熱-」で2年連続日本レコード大賞を受賞しています。

松田聖子と共に2大歌姫と言われた

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中森明菜さんがデビューした当時、もう一人のアイドルが活躍していました。絶大なる人気を誇り、聖子ちゃんカットが大流行した松田聖子さんです。当時デビューする新人アイドルはほとんどこの聖子ちゃんカットでした。例外なく、中森明菜さんも聖子ちゃんカットでした。

そんな、アイドルのお手本ともいうべき松田聖子さんと中森明菜さんは2大歌姫と呼ばれるようになりました。2人に共通するのは抜群の歌唱力とカリスマ性です。クラスでもキュートな聖子ちゃん派とクールな明菜ちゃん派とで分かれていました。

映画「愛・旅立ち」で近藤真彦と共演

Couple Holding Hands Love - Free photo on Pixabay (564563)

デビューから3年後の1985年(昭和60年)「愛・旅立ち」という映画が公開されました。この映画の主演を務めたのが、中森明菜さんはと近藤真彦さんです。親友が交通事故で亡くなってから人生の目的をなくした青年と、不治の病に冒された少女が運命的に出会い恋に落ちていく物語です。

実は、当初は中森明菜さん主演でサイキック物語を映画化しようと進められていました。しかし、自分1人で映画の主演は不安だと中森明菜さんが難色を示したため、すでに何本もの映画に出演していた近藤真彦さんに白羽の矢が立てられました。

撮影が長い映画、まして恋愛物語なのでお互い特別な感情が芽生えたのでしょうか。この映画がきっかけで中森明菜さんと近藤真彦さんは付き合いはじめます。

歌手と女優活動で大人気

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中森明菜さんは、歌手としてだけではなく、女優としても活躍しています。1992年にはフジテレビ系列で放送されたドラマ「素顔のままで」に安田成美さんとW主演しています。1998年には、日本テレビ系列で放送されたドラマ「冷たい月」で永作博美さんと共にW主演しています。

2002年にユニバーサルミュージックに移籍後は、カバー曲を中心に精力的に歌手活動も行っていました。しかし、2010年10月に体調不良を理由に芸能活動の無期限休止を発表しました。2014年12月31日には、スペシャルゲストとして第65回NHK紅白歌合戦に登場したことをきっかけにアルバムを出すなど歌手活動を再開しています。

ジャニーズ最古参・近藤真彦

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たのきんトリオの田原俊彦や野村義男、元SMAPの一部メンバーなどジャニーズ事務所を対処する芸能人もいるなか、デビューから今までずっと在籍しているのが近藤真彦さんです。最年長であること、経営陣との親密さなどもありジャニーズ事務所の長男とまで言われています。そんな近藤真彦さんについて詳しくご紹介します。

ジャニーズ事務所に入所して金八先生でデビュー

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近藤真彦さんは、1977年(昭和52年)中学1年の時にジャニーズ事務所に入所しました。ジャニーズ事務所に入所したきっかけは、なんと1枚の写真です。

当時、近藤真彦さんが地元で所属していた少年野球チームの監督の娘さんが、チームの集合写真をジャニーズ事務所に送りました。すると、ジャニーズ事務所の社長であるジャニー喜多川さんの目に留まりました。ジャニー喜多川さんは、近藤真彦さんの顔に丸を付け、少年野球チームの監督の娘さんに連絡を取り、自ら近藤真彦さんをスカウトしました。

ジャニーズ事務所に入所して2年後の1979年(昭和54年)の10月には、TBSのドラマ「3年B組金八先生」に星野清役で出演しました。自分と同じ年代の役柄だったので等身大で演じることが出来たのではないでしょうか。

たのきんトリオとして活躍

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