2019年10月13日 更新

石井久子の現在は?子どもの現在や麻原彰晃・飯田エリ子についても解説!

地下鉄サリン事件など多くの事件を起こして人々を苦しめたオウム真理教の教祖麻原彰晃には美人な愛人が多数いたことをご存知でしょうか。その愛人中の1人が石井久子でした。そんな石井久子の現在や子供、また同じく愛人の1人だった飯田エリ子のその後についてもご紹介します。

地下鉄サリン事件後の石井久子

Young Woman Sea - Free photo on Pixabay (706529)

今回もご紹介してきたように、オウム真理教の中では地位も高かく女帝とも呼ばれていた石井久子でしたが、1995年のオウム真理教破壊以降から、その生活は大きく変わったと言われています。

石井久子自身も地下鉄サリン事件に関わる容疑で逮捕されたのですが、そんな中子供を守るために行動したり、現在についてはオウム真理教への信仰は捨てたということのも語っていると言います。

それらの点についてここでは詳しくご紹介していきます。地下鉄サリン事件後の石井久子について知りたい方は、ぜひチェックしてください。

子どもを守るために行動

Book Asia Children - Free photo on Pixabay (706530)

1995年の麻原彰晃逮捕後、石井久子は麻原彰晃との間に出来た3人の子供を私生児として届け出ています。これは麻原彰晃の子供だと子供たちは親を選べないのに世間から罵倒されないように、子供たちを守る為の行動だと言われています。

先ほどもご紹介したように、今現在、この子たちがどのように暮らしているのかについては分かっていません。ただ、現在は3人とも家を出ていき、それぞれがそれぞれの生活をしているといわれています。

逮捕翌日に教団幹部と結婚

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1995年の9月6日に、信者に逃走資金を提供したとして犯人隠避容疑で逮捕されました。そして、その翌日に、獄中の中で教団幹部だった鎌田紳一郎と結婚しています。

これは、子供たちの保護者不在を避けるための結婚だったとも言われています。

そして義理の父となった石井紳一郎ですが、1999年にオウム真理教を脱退しました。その後の現在の様子については不明ですが、普通に生活をしているのではないかと言われています。

オウム真理教を信仰していないと明言

Window View Sitting Indoors - Free photo on Pixabay (706535)

そんな逮捕されてから子供の為に行動を起こしていた石井久子ですが、石井久子は法廷後の4年後に実刑判決を受けています。それがきっかけとなり教団を離脱しています。そして2000年の11月18日に出所し、その時に会見も行っていました。

その会見の中で、オウム真理教への信仰を捨てたということを改めて発表しています。この時の石井久子の様子は、目も虚ろとしてどこか遠くを見ている感じだったと言われています。

石井紳一郎がオウム真理教を脱会

Vintage Sadness Sad - Free photo on Pixabay (706537)

教団音楽部門トップの石井紳一郎と結婚した石井久子ですが、そんな石井紳一郎は幼少期の頃から音楽少年で東京音楽大学を卒業していました。その後ヨガが趣味になり本を読み漁っていたら、麻原のことをしり、オウム神仙の会に入信し、1987年6月に出家しました。

その後、彰晃マーチやオウム真理教の音楽を数多く制作し、教団の交響楽音楽「キーレーン」の指揮も務めたといわれています。

そして未婚の母であった石井久子と結婚し、1999年の12月にオウム真理教を脱会しています。

父親と二人暮らし

Silhouette Father And Son Sundown - Free photo on Pixabay (706538)

そんな人生を送ってきた石井久子ですが、石井久子の現在について気になっている方もおおいのではないでしょうか。2011年時の公安関係者からの情報によれば石井久子は現在父親と2人暮らしをしているといわれています。

また、仕事もしており、訪問介護の仕事をしているとのことでした。それからさらに8年経っていますが、現在の暮らしについては分かっていません。

しかし、2002年にあるところで目撃情報がありました。

精神を病む

Worried Girl Woman Waiting - Free photo on Pixabay (706539)

2002年に石井久子が目撃されているのですが、目撃されたのはアフレ本部です。これはオウム真理教がなくなった後に幹部だった上祐史浩が元オウム真理教の信者だった人たちを集めて立ち上げた組織です。

そんな南鳥山の本部に2002年頃、わけの分からないことを叫びながら石井久子が現れました。その内容は「マイトレーヤ(上祐のホーリーネーム)はどこ?金庫はどこ?」といったわけのわからないことだったといわれています。

警察がきて、彼女を連行しましたが、精神を病んでしまっていたようです。

元幹部が立ち上げた「ひかりの輪」の誘いを断る

Hands Open Candle - Free photo on Pixabay (706541)

公安関係者からの情報で、2007年委オウムの元最高幹部である上祐史浩が元信者たちと「ひかりの輪」という団体を立ち上げたという情報がありました。

その団体を立ち上げたときに、上祐史浩が石井久子に対して、「一緒に来ないか」と誘ったといわれています。しかし、石井久子はその誘いをあっさりと断ったそうです。

それからの石井久子の行動については分かっていませんが、オウム真理教に入信してから彼女の人生が大きく変わったのは確かです。

石井久子の現在

Girl Walking Teddy Bear - Free photo on Pixabay (706544)

今回は、石井久子のプロフィールやオウム真理教での立場、また麻原彰晃との生まれた子供や現在の様子についてもご種介してきましたが、いかがでしたでしょうか。

今までにない犯罪集団であったオウム真理教でしたが、犯罪的な行為について何も知らされていなかった純粋な信仰心だけで集まっていた人たちも多数いると言われています。
Girl Woman Emotions - Free photo on Pixabay (706558)

しかし、犯罪にかかわってないとはいえ、オウムにかかわった以上は恐怖の対象としてみられ、また、愛人になったひとたちもサリン事件を引きずりながら一生を生きていくことになります。

愛人となったことの報いといえば当然と考えることもできますが、狂った集団の中で洗脳されてしまい利用されてしまったことには少なからず同情を感じる方もいるのではないでしょうか。

狂った思想の持ち主だった麻原彰晃が、宗教を自分の都合のいいように利用して犯した罪は非常に重く、死刑になった今でも許されるものではありません。

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