2019年9月19日 更新

暗黒舞踏とは?暗黒舞踏を作った土方巽や歴史について紹介!

あなたは『暗黒舞踏』という言葉を聞いたことがありますか?いかにも、おどろおどろしい感じのする響きですが、実はこの『暗黒舞踏』は日本人が生み出した踊りなんです!今回は日本人とはかけ離れたイメージのする日本発祥の『暗黒舞踏』について、詳しくご紹介します!

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ところで、『暗黒舞踏』を作った土方巽(ひじかた たつみ)とはどんな人物だったのでしょうか?

土方は社交ダンスやモダンダンスなど数あるヨーロッパの舞踏とは異なる、日本独自の舞踏の創設を目指していました。そして、1960年代後半までに、それまでのダンス(舞踏)に、土方の故郷であった北日本の子ども時代の記憶を元にして独自に編み出した動きを加えた、新しい形の舞踏『暗黒舞踏』を作ることに見事に成功したのです。

ここでは、人間の身体の内側にある土俗的なものや呪物的なものを舞踏によって表現しようとした土方巽の生涯とその思想について見て行きましょう。

生涯

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土方巽(ひじかた たつみ)こと本名米山九日生(よねやま くにお)は、1928年3月9日秋田県秋田市に11人兄弟の末っ子として生まれました。地元の秋田高校卒業後、市内にあった増村克子のダンス研究所で、ドイツの前衛ダンス『ノイエ・タンツ』を学びます。そして1947年に初めての上京、高輪の寺で下宿生活をしながら様々な芸術家と出会ったと言われます。

その後土方は一度秋田へ帰りますが、二度目の上京で暗黒舞踏の先駆者大野一雄の公演を見て衝撃を受けます。そして1952年土方25歳の時、モダンダンサーとしてダンス界に入門、1957年頃に土方ジュネと名乗るようになり、1958年には土方巽に改名しています。

土方が『暗黒舞踏』を初めて披露したのは1959年三島由紀夫の小説を元にした舞台『禁色』でした。当時はまだ『暗黒舞踏』と名乗っていませんでしたが、独特のスタイルのダンスに観客は圧倒されたと言います。土方は1961年までに『暗黒舞踏』を確立し、その後は『暗黒舞踏』のダンサーとして1973年まで活躍しました。
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1973年以降は振り付けと演出に専念するようになり、1974年に目黒の自宅に稽古場兼劇場の「シアター・アスベスト館」を創設、1986年に東京医科歯科大学病院で肝臓がんにより57歳という若さで亡くなりました。

思想

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土方巽の思想と言うのは言葉にならないものを身振りで表現することに重きを置いており、そこには蟹股や短足と言った日本人としての身体性へのこだわりや、古来より神への捧げものとされてきた神楽や能・歌舞伎といった伝統芸能への回帰、土着性があり、日常生活の裏側にあるものや暗闇の中で埋もれてしまった身振りを浮上させることを目的にしていたと言われています。

ただし、見る人によっては解釈が分かれたり、そもそも『暗黒舞踏』を見て意味が分からないという人もいるので、暗黒舞踏に関して定義したり、土方の思想に関して語るのは容易ではないとされています。

暗黒舞踏の世代一覧

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土方は舞踏の世界に大きな影響を与えました。ダンスをただの「動きの芸術」ではなく「肉体の質感の提示」として、数をカウントする振り付けではなく、言葉とイマジネーションによって体の内に秘められた動きを引き出す斬新な方法論を開発したのです。

バレエや体操競技のように既存の方法論が通用せず、自ら動きを作って行かなければならない『暗黒舞踏』は、まさに西洋の文化が作ってきた舞踏とは対極の存在でしたが、磁石のように多くの人を惹きつける魅力があり、土方の元には多くの弟子が集まってきたと言われています。

それでは、『暗黒舞踏』の発展に欠かすことの出来ない世代一覧を見て行きましょう。

第一世代

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『暗黒舞踏』第一世代には、土方巽、土方が強い衝撃を受け共に暗黒舞踏を創設した大野一雄、土方・大野と共に暗黒舞踏派を作った石井満隆、暗黒舞踏集団『大駱駝艦』を主宰した麿赤児(まろ あかじ)、土方とは異なる舞踏の領域を切り開いた笠井叡(かさい あきら)

土方の舞踏を継承し土方トモエメソッドを確立した白桃房の主催者トモエ シズネ、中嶋夏、とりふね舞踏舎の三上賀代などがいました。三上賀代は土方との稽古で取っていた稽古ノートを元に、土方舞踏の言葉に対する動き解読したコードを提示し、今日の舞踏研究の第一人者と言われています。

第二世代

Norihito.Ishii on Instagram: “遊んでみた  #Creation #Workshop in #Kyoto  #HIPHOP ・ #ContemporaryDance を経て、舞踏家である #石井則仁 が、  #京都 で初めて #クリエーション #ワークショップ を行います。…” (644389)

『暗黒舞踏』第二世代と言われるのは、天児牛大(あまがつ うしお)が主宰の山海塾と1980年に大駱駝艦に所属していた舞踏家の大須賀勇らを中心に関西を中心として活動していた白虎社、日本の舞踏家で映像作家の岩名雅記などです。

山海塾は海外での評価が高く、世界のコンテンポラリーダンスの最高峰とされるパリ市立劇場で約2年に一度のペースで作品を発表しており、1980年代に国外での公演開始以来、世界43か国700都市以上で公演を行っています。白虎社もアジアやヨーロッパ、中南米などで公演活動を展開していましたが、1994年に解散しています。

また、岩名雅記も独自のパフォーマンスで世界を魅了し、70か国200都市でソロ活動とワークショップを展開しています。この第二世代は、第一世代から日本的な要素を取り除いた舞踏が特徴で、海外で積極的に活動しています。

第三世代

岡本 隆史/Takashi Okamoto on Instagram: ““勅使河原三郎 ダンサー、振付家” SABURO TESHIGAWARA Dancer, Choreographer Photographed by TAKASHI OKAMOTO  #勅使河原三郎 #ダンサー #振付家 #KARASアパラタス #ダンス #ひととき…” (644391)

『暗黒舞踏』の第三世代は、パリ国立オペラなどから振り付けの依頼を受け、フランス芸術文化賞を受賞した経歴を持つ勅使河原三郎(てしがわら さぶろう)、ダンスカンパニー『射干(NUBA)』主宰者の有科珠珠(ありか じゅじゅ)、竹内淳、川村浪子、堀川久子、山田せつ子などがいます。

彼らのダンスの特徴は、舞踏を意識している、あるいは舞踏出身者ではあるものの、舞踏という枠から外れた個性を確立した存在として、コンテンポラリーダンスの一部として認められているということです。また、国際的な活動も特色です。

新世代

Dance House KOGANE4422 on Instagram: “ 講師:浅井信好 《山海塾メソッドを用いた舞踏ワークショップ&クリエーションショーイング》 …” (644397)

『暗黒舞踏』新世代と言われるのが、吉岡由美子、ダンスカンパニー『輝く未来』の主宰者である伊藤キム、河野なつ子、日本の舞踏家で振り付け家としても活動する白井剛、ダンスカンパニー『金魚』を主宰する鈴木ユキオ

日本の舞踏家で演出家や振付家としても活動し、名古屋を創設拠点に月灯りの移動劇場を主宰する浅井信好、安田理英、ささらほうさら等です。

彼らは、舞踏というものを各自それぞれに消化吸収し、コンテンポラリーダンサーとして活動しています。

暗黒舞踏が人気の理由

Gris&Yuki on Instagram: “すばらしいものを観てきました。大駱駝艦・白馬村野外公演『夏の夢』振鋳・演出・美術:麿赤兒 鋳態(出演):麿赤兒+大駱駝艦&合宿生 会場:白馬村ジャンプ場前駐車場(名木山ゲレンデ近く) #大駱駝艦 #白馬 #麿赤兒 #暗黒舞踏” (644398)

『暗黒舞踏』は日本固有の文化として発展を遂げてきましたが、その起源は他のダンスと比べるととても浅いと言われています。暗黒舞踏は実際に作られてから現在でおよそ半世紀ほど経ちますが、日本ならではの斬新な文化と海外から高い評価を受けています。

海外から高評価を受けていると言われると見てみたいと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、見る人によってはあまりにも鮮烈過ぎてしまう可能性もあり、ある意味覚悟が必要とさえ言われています。ここでは『暗黒舞踏』が人気の理由についてご紹介します。

他のダンスにはない狂気を感じられるから

Bonfire Fire Man - Free photo on Pixabay (644415)

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