目次
- チマチョゴリは今とは違う形だった?
- 乳出しチョゴリの概要
- 韓国のチマチョゴリが変化したもの
- 長男を産んだ女性が着ていた
- 乳出しチョゴリは女性の誇り
- 女の子を出産した女性は着れない
- 1950年代まで続いた
- 乳出しチョゴリは男尊女卑の象徴
- 男の子を産む女性にだけ価値があった
- 乳出しチョゴリは社会義務を果たした女性のみ
- 女性の地位が低すぎた
- 乳出しチョゴリをやめた理由
- 日韓併合のときに禁止された(※実際はやめられていない)
- 女性の社会進出とともに丈が長くなった
- 乳出しチョゴリを現代の韓国人は否定
- 韓国にこの事実はないと否定
- 乳出しチョゴリを韓国人は破廉恥と批判
- 日本や中国が捏造したと言う
- 資料には乳出しチョゴリの姿が残っている
- 乳出しチョゴリの海外の反応
- 昔の韓国人
- 驚きの文化
- 異文化はどこにでもある
- 乳出しチョゴリを否定する韓国に疑問
- 現代の韓国の民族衣装
- 丈の長いチマチョゴリ
- 生活韓服が人気
- 男性はパジチョゴリ
- 韓国は今は世界のおしゃれのお手本
- オルチャンファッション
- オルチャンメイク
- オルチャンヘア
- 乳出しチョゴリは韓国の歴史の1つ
男の子を産む女性にだけ価値があった
via pixabay.com
男の子が家督を継ぐ者として大切にされる一方で、女の子は政略の道具でしかありませんでした。家父長制の韓国では常に男性が優位にあり、女性に権利などなかったのです。
当時の韓国人女性たちはそれを受け入れることが当たり前であり、疑問を持つことすらありませんでした。男の子を産んで初めて、女性としての価値を認められたのです。
例え正妻であっても男の子を産まなければ無価値であり、側女でも家長の血を受け継ぐ男の子を産めば立場の逆転もありえました。男尊女卑の思想は程度の差こそあれ、どこの国でも見られたのです。
当時の韓国人女性たちはそれを受け入れることが当たり前であり、疑問を持つことすらありませんでした。男の子を産んで初めて、女性としての価値を認められたのです。
例え正妻であっても男の子を産まなければ無価値であり、側女でも家長の血を受け継ぐ男の子を産めば立場の逆転もありえました。男尊女卑の思想は程度の差こそあれ、どこの国でも見られたのです。
乳出しチョゴリは社会義務を果たした女性のみ
via pixabay.com
男の子を産むことは妻として、側女としての義務でした。家長の血を受け継ぐ男の子を産んで、初めて社会的義務を果たせたと言えるのです。男の子を産めない女性は常に肩身の狭い思いをし、軽蔑さえされました。
社会的義務を果たさない限り、女性が安堵することはなかったのです。男の子を産めない女性は欠陥品であり、虐げられる運命でした。権力者の所有物となった女性は、男の子を産むか産まないかで影響力に差が出たのです。
女性にとって厳しい時代でした。
社会的義務を果たさない限り、女性が安堵することはなかったのです。男の子を産めない女性は欠陥品であり、虐げられる運命でした。権力者の所有物となった女性は、男の子を産むか産まないかで影響力に差が出たのです。
女性にとって厳しい時代でした。
女性の地位が低すぎた
via pixabay.com
儒教原理と家父長制の韓国では、女性の立場など甚だ低いものでした。厳格な身分制度もあったため、身分の低い女性は人ではなく、物として取引もされていました。
男性は絶対的な存在であり、女性の権利など一切として語られることのなかった時代です。長い間、女性にとって悲劇的に時代が続いていました。
だからこそ、女性自身にとっても男の子を産むことが女性の誇りとなっていったのです。権利も影響力も持たない女の子を産んでも、何の価値もなかった時代です。
男性は絶対的な存在であり、女性の権利など一切として語られることのなかった時代です。長い間、女性にとって悲劇的に時代が続いていました。
だからこそ、女性自身にとっても男の子を産むことが女性の誇りとなっていったのです。権利も影響力も持たない女の子を産んでも、何の価値もなかった時代です。
乳出しチョゴリをやめた理由
via pixabay.com
女性の社会的立場の変化に伴い、女性の誇りでありステータスシンボルでもあった乳出しチョゴリに変化が現れました。女性の在り方が変わっていったのです。
日韓併合のときに禁止された(※実際はやめられていない)
via pixabay.com
1910年の日韓併合により、朝鮮総督府は「文明的ではない」として乳出しチョゴリを禁止しました。身分制度を廃止したので、国民の立場も平等になったのです。
しかし、生活環境も含めて全てが平等になったわけではありません。中産階級以上の家と身分が低かった家では、元々持っていた資産が違いすぎます。
学校教育の機会も平等に与えられ、朝鮮人の識字率も上がりました。それでも朝鮮人の識字率は60%台で、40%近くの朝鮮人は字が読めなかったのです。
しかし、生活環境も含めて全てが平等になったわけではありません。中産階級以上の家と身分が低かった家では、元々持っていた資産が違いすぎます。
学校教育の機会も平等に与えられ、朝鮮人の識字率も上がりました。それでも朝鮮人の識字率は60%台で、40%近くの朝鮮人は字が読めなかったのです。
via pixabay.com
男の子を産んだ証であり、女性の誇りであった乳出しチョゴリを捨てることに抵抗感もあったでしょうし、母として我が子への愛情もあったでしょう。
長く続いた文化や風習を簡単に変えることはできなかったのです。しかし、女性が社会に進出する機会は増えました。
長く続いた文化や風習を簡単に変えることはできなかったのです。しかし、女性が社会に進出する機会は増えました。
女性の社会進出とともに丈が長くなった
via pixabay.com
1930年代に入ると、女性たちの環境に変化が現れ始めました。子どもを産んで育てるだけであった女性たちが、社会に進出していったのです。女性の社会進出に伴い、次第にチョゴリの丈が長くなっていきました。
現代社会とは比べ物になりませんが、女性の在り方や価値が変わっていったのです。変化が見られたのは日韓併合前の中産階級以上の女性たちに多く、社会進出の機会を得られない女性もいました。
それでも女性の社会進出が増えたことで、乳出しチョゴリが影響を受けた事実は変わりません。
現代社会とは比べ物になりませんが、女性の在り方や価値が変わっていったのです。変化が見られたのは日韓併合前の中産階級以上の女性たちに多く、社会進出の機会を得られない女性もいました。
それでも女性の社会進出が増えたことで、乳出しチョゴリが影響を受けた事実は変わりません。
乳出しチョゴリを現代の韓国人は否定
via pixabay.com
1950年代に米軍兵士が撮影した乳出しチョゴリの写真もあり、乳出しチョゴリの風習は1960年代まで続いたという説もあります。しかし、現代の韓国人は乳出しチョゴリの歴史を認めていません。
韓国にこの事実はないと否定
via pixabay.com
乳出しチョゴリは60年から70年前まで見られた朝鮮半島の風習ですが、韓国人は乳出しチョゴリの歴史を否定しています。1950年代の朝鮮戦争当時、米軍兵が乳出しチョゴリを着た女性の写真を残しています。
一説によると乳出しチョゴリの風習は1960年代にも見られたようです。また、日韓併合前に撮影された、乳出しチョゴリの写真も数多く残されているのです。
数多くの証拠写真があるにも関わらず、韓国人は乳出しチョゴリの歴史を認めていません。
一説によると乳出しチョゴリの風習は1960年代にも見られたようです。また、日韓併合前に撮影された、乳出しチョゴリの写真も数多く残されているのです。
数多くの証拠写真があるにも関わらず、韓国人は乳出しチョゴリの歴史を認めていません。
乳出しチョゴリを韓国人は破廉恥と批判
via pixabay.com
韓国人は乳出しチョゴリを破廉恥なものだと考えています。乳房を平然と露出するような破廉恥な風習など、朝鮮半島にはなかったと言うのです。現代の価値観で言うなら破廉恥でしょう。
しかし、日韓併合前の価値観では、破廉恥とは言えなかったのです。朝鮮半島の厳しい身分制度や強固な儒教原理と、頑なまでの男尊女卑の思想の元で女性たちが背負った歴史です。
しかし、韓国は国の成り立ちからして歪んだ教育をしているため、60年から70年の歳月の中で歴史的真実が埋もれていったのです。そのため乳出しチョゴリは数多くの証拠を残しながら、韓国内においては歴史から消えました。
しかし、日韓併合前の価値観では、破廉恥とは言えなかったのです。朝鮮半島の厳しい身分制度や強固な儒教原理と、頑なまでの男尊女卑の思想の元で女性たちが背負った歴史です。
しかし、韓国は国の成り立ちからして歪んだ教育をしているため、60年から70年の歳月の中で歴史的真実が埋もれていったのです。そのため乳出しチョゴリは数多くの証拠を残しながら、韓国内においては歴史から消えました。
日本や中国が捏造したと言う
2 / 4