2019年5月27日 更新

マネーの虎の社長と志願者のその後まとめ!かつての成功者の現在とは

2000年代に大ヒットしたリアリティ番組「マネーの虎」当時日本中に大きな反響を与えました。今回はマネーの虎に出演を果たした、志願者達のその後を紹介して参ります。また社長としてあの席に座っていた「虎」たちの現在についても迫っていきます。

臼井さんは成功者になる以前、60にも登るアルバイトを経験していました。1993年に会社を経営している男性と結婚、ですが夫に癌が見つかり3億円の負債を抱える会社の経営を引き継ぐことになりました。1991年には夫の会社の社長になったのです。

癌の作用でEDになってしまった夫に向け、勃起補助器具である「パワーリングネオ」を販売開始。するとこの商品は日本中で大ヒットとなりました。マネーの虎では志願者に対し親身に耳を傾ける姿勢を見せ、人気の1人でした。一生懸命な志願者に対して肩を貸す場面がいくつか見られました。

臼井さんは現在、株式会社健康プラザコーワ・有限会社ドクターユキオフィスの2社で代表を務めています。他にも、公演活動・作家・エッセイストなどの活動を行っています。

貞廣一鑑

Man Portrait Guy - Free photo on Pixabay (328162)

貞廣さんは飲食業に就職していましたが、突然の倒産により起業を決意しました。2000年には東京進出を果たし、多くの地区で展開を決めていきました。マネーの虎では「数字ではなく人柄で出資を決める」というスタンスで出演しており、視聴者から多くの人気を獲得しました。

出資者と激突する場面はあったものの、志願者に大しては常に親身になっている姿勢が人気を集めた要因です。現在では株式会社商業藝術の社長として日々奮闘しています。株式会社商業藝術は株式会社ダイヤモンドダイニングの傘下入りを果たしています。

マネー成立の志願者たちのその後

Italy Sunrise Sky - Free photo on Pixabay (328174)

マネーの虎では、出資者だけではなく志願者に対しても人気が高まることも多くありました。志願者の人柄や起業計画の内容によって番組の盛り上がりが変動していたのです。「あんな志願者いたな」「出資者とのバトルが見物だった」などという懐かしい記憶がある方も多いのではないでしょうか。

プレゼンテーションに成功し「マネー成立」となった志願者たちも多かったのです。そんな人たちのその後の詳細について視聴者が垣間見ることはありませんでした。気になっている方も多いと思います。でマネー成立となった志願者たちのその後について迫っていきましょう。

菊野慶吾

Man Silly Funny - Free photo on Pixabay (328176)

菊野さんは番組史上最も「出資者が投資したがった人物」です。なかなか投資をしようとしない出資者も多かった中、菊野さんが出演した回は圧倒的でした。菊野さんはマネーの虎出演までは家族で家具屋を営んでいました。将来を考え、他の家具屋との差をつけるためカフェスタイルでの家具屋をスタートしたいという夢がありました。

菊野さんに投資をしたいと発言したのは、岩井さん・貞廣さん・城之内さんでした。最終的には貞廣さんから投資を受ける事を決意したのです。その時、菊野さんは多額の借金を抱えていました。ですが貞廣さんは「もう無理だと思っているの?やろうよ。僕は銀行屋じゃないんだから、そんなのどうでもいいんです。あなたの成功が、僕にとっての成功なんです」という言葉を菊野さんに投げかけたのです。

マネーの虎出演後、2002年12月にカフェをオープン・2003年にはネットショップをオープンしています。そして2004年有限会社カントリーウッドガーデンを設立。2005年には楽天市場に出店を開始しました。2007年にはミニチュア家具・ドールハウスの商品を販売しています。現在ではネット販売を拠点に多くの家具を全国に届けています。

立花洋

Man Young Male - Free photo on Pixabay (328178)

立花さんはマネーの虎出演時なんと44歳の無職でした。希望額980万円を希望しました。プレゼンテーションの内容は「レトルトを使わずに美味しい物をしっかりした値段で出したい」とてもありきたりなものでした。奇抜なアイディアもなく儲かる仕組みも見えませんでしたが、「儲けは考えていません」という言葉で出資者である加藤和也さんは心を動かされ出資を決めたのです。

マネーの虎出演後、立花さんは「ラ・パットーラ」というパスタ屋さんをオープンさせました。雰囲気もよく、味も良い、そして安いということで多くの人を集めていました。が2018年の6月22日を持って閉店となりました。SNS上では惜しむ声が多く寄せられていました。

黒澤文昭

Guy Shadow Black - Free photo on Pixabay (328179)

黒澤さんは「個人客をターゲットとしたPCの修理・メンテナンスを行う会社を設立する資金が欲しい」ということでマネーの虎の志願者となりました。投資希望額は650万円でした。プレゼンテーションは成功したかに思えましたが、ガソリン代・経費などを希望額に含んでいた為に、多くの社長から罵声を浴びせられてしまいます。

ですが岩井さん・小林さんの投資を獲得し、見事PCの修理会社をオープンさせました。そして1年後には3号店まで拡大をしていたのです。現在では会社を持続させ、「パソコン救急バスターズ」という店名で8店舗までお店を増やし、大成功しています。

キム

Model Businessman Corporate - Free photo on Pixabay (328180)

キムさんは「手作りのキムチを移動販売したい」という夢を持ちマネーの虎の志願者として登場しました。キムさんのプレゼンテーション・事業内容はあまり出資者達を頷かせるものではありませんでした。ですが、キムさんの人柄が出資者にウケ、マネー成立となったのです。

岩井さんから投資を受け、高橋さんから車両を譲り受けることとなりました。現在ではデリキムチという会社を立ち上げ、ケータリングカーで販売を続けているようです。夫の協力もあり、キムチだけではなくプルコギ丼・カルビクッパ・チヂミなどを扱うようになりました。

従業員は20名以上雇用しているようで韓国ブームが到来した今、大いに儲けを出しているのではないでしょうか。

千代敬司

Guy Sunset Sun - Free photo on Pixabay (328181)

千代さんは「ペットを健康にする水を販売する会社を設立したい」「ペットの癒しの場を作りたい」という夢を持ち、マネーの虎に志願者として出演を決めました。マネーの虎の番組の中でペット水を持参し「口の匂いを消す・毛並みを良くする」ということを実演しました。

岩井さんからの投資が決まり、株式会社Chiyo-petを立ち上げました。ペット水だけではなく、ペットのケア用品・食物などをオリジナルブランドとして全国のセレクトショップに並べています。

商品のデザインは出資者である岩井さんが行っているようです。現在でも日々奮闘しているようですが、訴訟となってしまった時期もあったようです。

岡田耕児

Modern Person Young - Free photo on Pixabay (328183)

岡田さんは大学生の時に行った旅行先タイで、初めてチェンマイ料理を食します。チェンマイ料理に感動した岡田さんは「日本でチェンマイ料理のお店を出したら繁盛するのではないか」と思いつきます。そしてマネーの虎への出演を果たします。

岡田さんは当時大学4年生ではありましたが、出資者から好感を持たれ安田さんから出資されることが決まりました。マネーの虎出演後、チェンマイ風屋台ラーメン移動販売車サワディーCarを開店させました。当初は毎日400食を販売するほどの大ヒットとなりました。

大ヒットし、次のステップとし屋台から店舗への転身を図ります。ですが店舗の方は人気がでることはなく、1ヶ月で閉店という形になってしまいました。その後音信不通となり、タイから帰ってきました。その後サワデイー家を開店させましたが間もなく閉店しました。サワディーCarを別の人に譲りました。譲った後の活動は分かっていません。

トルコ人2人

Turkey Istanbul Crowd - Free photo on Pixabay (328186)

「トルコで一般的なファーストフードであるケバブを日本で流行らせたい」と、トルコ人の大学院生がマネーの虎に志願者として出演しました。希望額は1800万円でした。出資者たちの熱い思いを伝え、ケバブを食べてもらうことになりました。ケバブを食べた社長達代絶賛、マネー成立となったのです。

マネーの虎出演後、グットスタートカンパニーという会社を設立。そしてトルコの大手企業社長の目に留まり、1億円の投資も決まったのです。現在ですが、なんと志願者トルコ人の1人が急性心不全にて死去、お店は閉店となっていました。

生前は渋谷のセンター街で店舗を開店、他にも多くの店舗を開店させていました。彼らがきっかけになったのかは分かりませんが、ケバブはお祭りやお店の駐車場などで販売している人の姿が多く見られるようになりました。

マネー不成立の志願者たちのその後

Beyond Death Faith - Free photo on Pixabay (328189)

3 / 5

関連する記事 こんな記事も人気です♪