目次
- バミューダトライアングルとは?
- バミューダ海峡の特徴
- バミューダトライアングルの伝説の起源
- バミューダトライアングルの事件の謎
- 方位磁石や計器が突然狂いだす
- 消失した船舶や航空機の残骸が見つからない
- 不思議な光の目撃証言
- バミューダトライアングルの怪事件
- 1881年:エレン・オースティン号
- 1918年:アメリカ海軍の給炭艦サイクロプス
- 1945年:アメリカ海軍の雷撃機TBFアヴェンジャー
- 60年後の再現フライト
- 1947年:アメリカ陸軍C54輸送機
- 1947年:アメリカ空軍カーチスC46輸送機
- 1963年:アメリカ空軍大型輸送機C133カーゴマスター
- 死んだはずのミッシェル・ガヤンの蘇り
- バミューダトライアングルの海底にピラミッド?!
- バミューダトライアングルの仮説
- ブラックホール説
- 宇宙人誘拐説
- マイクロバースト説
- タイムスリップ説
- 地磁気説
- アトランティス説
- メタンハイドレード説
- 船舶の沈没の原因
- 航空機の墜落の原因
- メタンガスが発生する理由
- 残骸が発見されない理由
- チャールズ・ベルリッツの著書はデマ?
- ローレンス・D・クシュの主張
- 単なる遭難事故を怪事件に仕立てあげている
- そもそも遭難事故の記録がない
- 事実を誇張・歪曲している
- 別の場所で起きた事故
- バミューダトライアングルの事件や事故の原因解明
- 悪天候時の操作ミス
- バミューダトライアングルはハリケーンや霧の多発地帯
- 周辺に目印となる島や構造物がない
- 強力なメキシコ湾流
- 現在は航空機や船舶の失踪事件は報告されなくなっている
- ドラゴントライアングルとは?
- 現在でも謎が多く残る海域
via pixabay.com
最初に事故が確認されたのは1881年。イギリスのスクーナー船『エレン・オースティン号』の失踪事件です。同船はバミューダトライアングルを航行中、遺棄された一隻の無人船に遭遇します。
オースティン号の船長はこれを接収し、目的地まで運ぼうとしますが、突如発生したスコールにより、無人船と離れ離れになってしまいます。二日後にこれを発見したものの、以前に乗り込んだ船員は一人残らず行方不明になっていました。
それでも船長は再び無人船を確保しますが、追い討ちをかけるように二度目のスコールが発生。乗り込んだ船員はおろか、無人船が発見されることは二度とありませんでした。
オースティン号の船長はこれを接収し、目的地まで運ぼうとしますが、突如発生したスコールにより、無人船と離れ離れになってしまいます。二日後にこれを発見したものの、以前に乗り込んだ船員は一人残らず行方不明になっていました。
それでも船長は再び無人船を確保しますが、追い討ちをかけるように二度目のスコールが発生。乗り込んだ船員はおろか、無人船が発見されることは二度とありませんでした。
1918年:アメリカ海軍の給炭艦サイクロプス
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サイクロプスは全長165m、幅20m、重さは1万トンを超える巨大給炭艦(石炭を運搬する船)です。艦名はギリシャ神話のキュクロプスにちなんで付けられました。
無線通信装置を装備した最新鋭艦だったにもかかわらず、サイクロプス号は大西洋のバルバドスを出航した後、忽然と姿を消してしまいました。
無線通信装置を装備した最新鋭艦だったにもかかわらず、サイクロプス号は大西洋のバルバドスを出航した後、忽然と姿を消してしまいました。
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第一次世界大戦中であった当初は、ドイツの潜水艦に撃沈されたのではという憶測が飛び交っていたものの、戦後の調査でこの説は否定されています。
他にも嵐の発生、艦体の構造的欠陥、人為的トラブルなどの原因が考えられていますが、いずれの説も、痕跡すら残さなかったサイクロプス号の失踪を裏付ける証拠には至っていません。
サイクロプス号の乗員数は309名。米海軍史上最多の犠牲者を出した事件となりました。
他にも嵐の発生、艦体の構造的欠陥、人為的トラブルなどの原因が考えられていますが、いずれの説も、痕跡すら残さなかったサイクロプス号の失踪を裏付ける証拠には至っていません。
サイクロプス号の乗員数は309名。米海軍史上最多の犠牲者を出した事件となりました。
1945年:アメリカ海軍の雷撃機TBFアヴェンジャー
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アメリカ海軍のアヴェンジャー雷撃機が飛行訓練中に消息を絶ったこの事件(別名「フライト19事件」)は、バミューダトライアングル関連でも特に有名な事件、歴史上もっとも不可解な航空機事故として、メディアの間で広く取り扱われてきました。
アヴェンジャー編隊「フライト19」のメンバーは合計14名。隊長のチャールズ・キャロル・テイラー中尉は数千時間の飛行経験を持つベテランでした。訓練に使われた機体は全て正常に作動し、滑空爆撃訓練も計画通りに完了していました。
アヴェンジャー編隊「フライト19」のメンバーは合計14名。隊長のチャールズ・キャロル・テイラー中尉は数千時間の飛行経験を持つベテランでした。訓練に使われた機体は全て正常に作動し、滑空爆撃訓練も計画通りに完了していました。
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ところが午後3時45頃、基地に帰還中のテイラー中尉から「陸地が見えない。コースを外れたようだ」と連絡が入ります。「白い水のようなものに突入した・・・。完全に方向を見失った」という証言を最後に、フライト19からの通信は完全に途絶えてしまいました。
その後2機のPBMマリナー飛行艇が捜索に出向くも、その内の1機と搭乗員13名が失踪。二度と帰ってくることはありませんでした。メキシコ湾の30万平方km範囲をしらみつぶしに捜索しても、何も発見することができなかったそうです。
その後2機のPBMマリナー飛行艇が捜索に出向くも、その内の1機と搭乗員13名が失踪。二度と帰ってくることはありませんでした。メキシコ湾の30万平方km範囲をしらみつぶしに捜索しても、何も発見することができなかったそうです。
60年後の再現フライト
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フライト19事件から60年後。アメリカでは事件の謎を解明すべく、撮影機同行で再現フライトの試みがなされました。飛行機は当時と同じ物を使用。計器も全く同じという条件を整えました。
指揮官のオブライエン氏は事件当時に無線技師を担当した人物で、かつての記憶を呼び覚ましつつフライトを開始しました。
指揮官のオブライエン氏は事件当時に無線技師を担当した人物で、かつての記憶を呼び覚ましつつフライトを開始しました。
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すると不思議なことに、再現フライトの機体も同時刻、当時の事件と同じような状況に陥ってしまいます。計器に異常が発生し、どこを飛んでいるかもわからなくなってしまったのです。
管制塔の指示に従い、どうにか無事に帰還を果たした再現フライト部隊ですが、オブライエン氏と撮影機のパイロットは「ゾッとする体験だった」と後に語ったそうです。
管制塔の指示に従い、どうにか無事に帰還を果たした再現フライト部隊ですが、オブライエン氏と撮影機のパイロットは「ゾッとする体験だった」と後に語ったそうです。
1947年:アメリカ陸軍C54輸送機
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1947年。キューバ上空を通過したアメリカ陸軍のC54輸送機長ホーガン大尉から「こちらホーガン。視界ゼロ、針路(しんろ)を見失った。現在位置を報せよ」と無線連絡が入ります。
機長はその後「操縦が効かなくなった」と叫び、SOS信号を送りますが、やがて無線が切れて音信不通になってしまいます。
管制塔がいくら応答を求めても、ガーガーという雑音が聞こえるのみ。C54輸送機とホーガン機長はそのまま行方不明となりました。
機長はその後「操縦が効かなくなった」と叫び、SOS信号を送りますが、やがて無線が切れて音信不通になってしまいます。
管制塔がいくら応答を求めても、ガーガーという雑音が聞こえるのみ。C54輸送機とホーガン機長はそのまま行方不明となりました。
1947年:アメリカ空軍カーチスC46輸送機
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C54の事件から間もなくして、今度はアメリカ空軍所属のカーチスC46輸送機が行方不明になるという事件が発生します。同機は32人の乗組員を乗せてバハマ上空を飛行中、突然音信が途絶えてしまいました。
その後、C46輸送機の残骸がジャマイカのブルー山脈のふもとで発見されますが、乗組員の遺体は一人も発見されませんでした。
バミューダトライアングルで行方不明になった機体が、なぜジャマイカに墜落したのか。乗組員がどこに消えたのかは、未だ明らかになっていません。
その後、C46輸送機の残骸がジャマイカのブルー山脈のふもとで発見されますが、乗組員の遺体は一人も発見されませんでした。
バミューダトライアングルで行方不明になった機体が、なぜジャマイカに墜落したのか。乗組員がどこに消えたのかは、未だ明らかになっていません。
1963年:アメリカ空軍大型輸送機C133カーゴマスター
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1963年9月22日。アメリカ空軍の大型輸送機C133カーゴマスターが、10人の乗組員を乗せて大西洋のアゾレス諸島から飛び立ちます。
ところが同機はバミューダトライアングルを通りかかった15時頃、突如として行方をくらましてしまいます。出発当初は順調に飛行しているという無線連絡が入っていたにもかかわらず、管制塔がいくら呼びかけても応答はありませんでした。
アメリカ海軍は飛行機200機、艦艇30隻で一週間にも及ぶ捜索を実施しますが、乗組員10人の遺体どころか、飛行機の残骸や輸送品、救命具すらも発見できなかったと言われています。
ところが同機はバミューダトライアングルを通りかかった15時頃、突如として行方をくらましてしまいます。出発当初は順調に飛行しているという無線連絡が入っていたにもかかわらず、管制塔がいくら呼びかけても応答はありませんでした。
アメリカ海軍は飛行機200機、艦艇30隻で一週間にも及ぶ捜索を実施しますが、乗組員10人の遺体どころか、飛行機の残骸や輸送品、救命具すらも発見できなかったと言われています。
死んだはずのミッシェル・ガヤンの蘇り
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1990年2月。バミューダ島の沖で漁をしていた漁船が、白い布にくるまれた大きな袋を発見します。猟師たちが袋を引き上げてみると、中から出てきたのは初老男性の死体でした。
ところが死体は突然目を見開き「ここはどこだ」と口を開きます。その男性は紛れもなく生きていたのです。
男性の名はミッシェル・ガヤン。フランスからバミューダ地方に引っ越してきた移住者でした。それだけでなく、彼は1926年に一度死んだはずだと言うのです。
ところが死体は突然目を見開き「ここはどこだ」と口を開きます。その男性は紛れもなく生きていたのです。
男性の名はミッシェル・ガヤン。フランスからバミューダ地方に引っ越してきた移住者でした。それだけでなく、彼は1926年に一度死んだはずだと言うのです。
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