2020年12月25日 更新

遅咲きの人生の方が成功する?遅咲きの偉人や俳優・女優をご紹介!

遅咲きの人生を送る有名人や偉人には、なぜ成功者が多いのでしょうか?この記事では、遅咲きと言われる俳優や女優、ミュージシャンたちを例にとって、その理由を詳しく解説していきます。また、遅咲き恋愛についてもご紹介。人生で成功を収めたい方、要チェックです。

竹原ピストルは、紅白出場歴を持つ人気フォークシンガーであると同時に、俳優としても高く評価されている人物です。彼もアコースティックギターでの弾き語りスタイルをとっていますが、秦基博と比べて、人の感情に訴えかけるような熱のこもった楽曲を制作することで知られています。

彼はもともとフォークバンドを結成しており、2003年にはメジャーデビューも果たしていました。しかしなかなか芽は出ず、事務所からの独立、バンド解散を経て、インディーズでのソロ活動を余儀なくされます。それでも彼は、年に数百回ものライブを全国で行うなど精力的な活動を続けました。

すると彼は松本人志の目に留まり、映画「さや侍」に出演。主題歌も担当しました。これを機に知名度が高まり、2014年には再度のメジャーデビューを果たし、なんと2017年には紅白歌合戦に出場するに至ったのです。俳優として日本アカデミー賞を受賞するなど多才な彼は、今後も活躍を続けること間違いなしです。

クレイジーケンバンド

Audience Band Celebration - Free photo on Pixabay (406692)

クレイジーケンバンドは、メインボーカルの横山剣が中心となり、1997年に結成されました。以来テレビ出演やライブ活動で全国的な人気を獲得していき、彼らの楽曲を基にドラマが制作されるなど、誰もが知る人気バンドに成長していきました。

リーダーの横山剣は、1981年にロックバンドのボーカルとしてデビューするも、3年後に脱退。その後は長くサラリーマンとして過ごしました。とはいえその間も音楽活動を止めることはなく、いくつものバンドで活動を続けました。

そして37歳を迎える年に、クレイジーケンバンドを結成。デビューは翌年であり、かなりの遅咲きであることがおわかりいただけるかと思います。そんな彼らは、メンバーが60歳近くなった現在でも精力的な活動を続けており、息の長い人気を誇っています。

遅咲きの有名人【タレント編】

Children Tv Child - Free photo on Pixabay (407278)

「タレント」という言葉は、英語で「才能」という意味を持っています。芸能界は入れ替わりが激しい業界として知られており、常に新しい「タレント」を求めていると言っても過言ではありません。

また、芸能界でスターになるためには、「若さ」というのもステータスになります。伸びしろにあふれ、底を感じさせない才能あふれる若手スターに、人々は熱狂するものです。

そんな中でも、遅咲きでデビューしてスターへの道を駆け上がったケースも、決して少なくはありません。自身の積み重ねてきた努力と実力で、成功を掴んだ「タレント」たちを紹介していきます。

タモリ

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タモリといえば、32年間に渡って出演を続けた「笑っていいとも」や「ミュージックステーション」でおなじみの名司会者です。お笑いビッグ3に名を連ねており、その人気はいまだ健在です。

実は彼の芸能界デビューは30歳であり、遅咲きタレントとしても知られています。若き日の彼は、大学から学費滞納で除籍され、旅行代理店やボーリング場の支配人、また喫茶店のマスターなどさまざまな職を転々とする生活を送っていました。

そんな彼の才能を見出したのは、「天才バカボン」の作者として知られる赤塚不二夫でした。その後押しもあって芸能界入りを決めた彼は、その実力で国民的タレントにまで上り詰めたのです。

関根勤

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絶妙なモノマネと明るいキャラクターで、長年活躍を続けている関根勤。彼もブレイクを目指して長い下積み時代を過ごした、遅咲きタレントのひとりに数えられます。

デビューは早く、萩本欽一の冠番組に、「ごきげんよう」の司会を務めた小堺一機とともにレギュラー出演していました。しかし露出は多いものの、なかなかブレイクには至らず時は流れていきました。

そんな中でもテレビや舞台出演で実力を磨いてきた彼は、32歳でレギュラー出演が決まった「笑っていいとも」で一気にブレイク。名バイプレイヤーとして、バラエティー番組に欠かせない存在へと成長したのです。

武井壮

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「百獣の王」を目指す、陸上十種競技の元日本チャンピオンでタレントの武井壮。彼が地上波の深夜番組をきっかけにブレイクしたのは、40歳を間近に控えた2012年のことでした。

彼は大学在学中に十種競技の日本チャンピオンとなった後、卒業を機にスポーツトレーナーとして活動を始めました。2003年には同時に芸能活動をするようになり、おもにスポーツ企画への出演を続けましたが、なかなかタレントとしての芽は出ませんでした。

そんな彼は自身の遅咲きブレイクについて、「誰よりも成長しようと動いたら、多くのチャンスがやってきた」と振り返ります。なかなか仕事が来ない中でも、彼は自らの積極的な行動で道を切り開いたのです。

遅咲きの有名人【偉人編】

Bookshelf Old Library - Free photo on Pixabay (407571)

ここまではおもに芸能界における、遅咲きの有名人たちを紹介してきました。しかしどの業界にも、年齢を重ねてから成功を収めるというケースはあるものです。

そしてそれは、歴史に名を残すような偉業を達成した人々にも同じことが言えます。いまの我々の政治や科学、文化を形作ってきた偉人たちでも、全員が全員、若い頃から傑出した存在であったわけではないのです。

というわけで最後に、「偉人編」と銘打って、さまざまな分野で成功を収めた遅咲きの有名人を紹介していきます。

ウォルト・ディズニー

Ferris Wheel Amusement Park Ride - Free photo on Pixabay (407595)

ウォルト・ディズニーといえば、「ミッキー・マウス」を生んだアニメーターであり、「ディズニーランド」の創設者として知られる、世界的エンターテイナーです。彼の人生も、決して順風満帆だったわけではありません。

そのクリエイティブな才能で名を轟かせたウォルト・ディズニーですが、若い頃に働いていた新聞社からは、「創造力に欠ける」との理由で解雇されています。また、立ち上げた会社も3度にわたり倒産するなど、思うようにいかない青年期を過ごしました。

その後もディズニーランドの建設を市に拒否されるなど、苦難は幾度も訪れましたが、彼は挑戦することを止めませんでした。もし彼が途中で夢を諦めていたら、350億ドル以上の収益を誇る、ウォルト・ディズニー・カンパニーは生まれていなかったのです。

カーネル・サンダース

Fried Chicken - Free photo on Pixabay (412516)

日本でも高い人気を誇る、ケンタッキーフライドチキンの生みの親、カーネル・サンダース。ロゴマークや店舗の前に置かれている人形で、彼自身もとても有名です。

貧しい家庭に生まれた彼は、10代で陸軍に入隊した後、40種類にも上る職業を転々とする生活を送りました。そして60歳を過ぎた頃には、経営していたレストランが閉店に追い込まれてしまいます。引退して年金生活を送ることもできましたが、彼はそうしませんでした。

彼はワゴン車に秘伝のフライドチキンを載せて、レシピを教える代わりに売上の一部を受け取るという、世界初のフランチャイズビジネスの普及に努めました。そして事業成功時にはすでに70歳を超えていたという、驚異の遅咲き有名人です。

エイブラハム・リンカーン

Mount Rushmore Monument Landmark - Free photo on Pixabay (412776)

エイブラハム・リンカーンは、アメリカ合衆国の第16代大統領です。奴隷解放宣言や、強く民主主義を主張したゲティスバーグ演説などで高く評価されており、しばしば「歴代最高の大統領」と言われます。

彼は若かりし頃から、苦難に満ちた人生を送ります。いくつかの職業に就きましたがどれも長続きせず、自ら事業を興しても度重なる失敗に見舞われ、ついには恋人との死別により精神を病んでしまいました。そこから立ち直り、政治家として活動を始めても、7度にわたり落選してしまいます。

このように、いつ心が折れても不思議ではない状況が続きましたが、彼は諦めずに戦い続け、大統領の座を射止めます。その後は言わずと知れた大活躍で、歴史にその偉大な名を刻みました。

アルベルト・アインシュタイン

Albert Einstein Portrait - Free photo on Pixabay (412912)

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