2019年8月16日 更新

左翼集団の代表格日本赤軍!その活動の全貌とメンバーの現在

新左翼系団体として、かつて世界同時革命を目指した日本赤軍という団体の名前を、あなたも一度は耳にしたことがあるかもしれません。この日本赤軍のメンバーは今も国際指名手配中です。ここでは、彼らが当時どのような活動をしていたのかを詳しく紹介していきます!

目次

重信房子は、国際指名手配されてからおよそ26年後の2000年に逮捕され、その翌年には正式に日本赤軍の解散を宣言しました。当時日本赤軍は、メンバーの高齢化と若い支持者がおらず先細り状態で、重信房子が解散を宣言したときには、グループはすでに壊滅状態だったといいます。

のちに彼女は、インタビューで「自分は世界を変えるといい気になっていた」とかつての革命家としての自身の活動を否定するようなことも言っています。

解散の撤回

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2001年4月に前年大阪で逮捕された重信房子が獄中から「日本赤軍としての解散宣言」をして、正式に解散したにもかかわらず、一方でその直後、メンバーだった坂東國男と大道寺あや子が「日本赤軍解散宣言無効宣言」を発表していました。

おそらく日本赤軍の中で、解散を推し進めるメンバーと解散しない派のメンバーとで意見が対立していた可能性も考えられますが、少なくとも以前のような勢いはなく、メンバーの高齢化とともに、徐々に先細りしていく結末がリーダーの重信房子には、予想できたのかもしれません。

重信房子は獄中で闘病中

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2000年に逮捕された重信房子は、その翌年日本赤軍の解散宣言を獄中からしましたが、その後も病気で今も闘病生活を続けています。もう彼女は高齢のため、20代後半の娘も様子を見に来るそうです。

ただ、逮捕されたとはいえ、獄中で闘病中の重信房子の描いた日記には昔と同じような共産的な政治思想がいまだ根強く残っているようです。しかし、一方では「自分は世界を変えるといい気になってた」と、過去の過ちを悔いる一面も持っているようです。

現在も逃走中のメンバー

Killer Horror Jimmy - Free photo on Pixabay (529751)

日本赤軍のメンバーは、1970年代に起こった過激派テロに関わって海外で逮捕されて拷問を受けたりするメンバーもいれば、そのまま逃亡したメンバー、日本に帰国した後、警察などに逮捕されたメンバーなどさまざまですが、国際指名手配をされていたため、逮捕されたメンバーが多いです。

しかし、なかにはうまく警察から逃れて消息を絶つ日本赤軍の元メンバーもいました。彼らは未だ国際指名手配をされていますが、逮捕にはまだ至っていません。

生活保護を受給している元日本赤軍メンバー

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1970年代~1980年代までの間、日本赤軍の元メンバーだった人たちも、事件後に逮捕されてから刑期を終えて社会復帰した後は、過酷な現実が待っていました。

今となってはメンバーたちが60代~70代と、高齢化が徐々に進み、仕事がなく、生活のために仕方なく万引きする高齢者も多いといいます。
Purse Wallet Money - Free photo on Pixabay (529755)

なかには生活保護を受注するという選択肢を選ぶ人もいるといい、そんな彼らは、今や生活していくだけで日々精いっぱいの毎日を強いられています。

日本人村で暮らしている

North Korea Pyongyang Building Kim - Free photo on Pixabay (529752)

「よど号ハイジャック事件」でハイジャック事件を起こした日本赤軍のメンバーは、北朝鮮で軍事訓練を受けることを目的に乗客、乗組員全員を人質にとり、北朝鮮に向かうよう脅迫しました。その要求が受け入れられ、人質を残し、乗客全員が解放され、死傷者なくすみました。

そして、無事北朝鮮に渡ったメンバーでしたが、その後北朝鮮でメンバーたちは軍事演習を受けることはできず、これまでにメンバーのうち何人かは死亡が確認され、残された数人のメンバーは北朝鮮にある日本人村で暮らしています。

近年目立った活動は見られない

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重信房子が日本赤軍を解散すると宣言して以降、無効にする発言もメンバーからありましたが、2001年以降の日本赤軍の動向には、以前のような勢いがみられず、特に目立った事件も起きていない印象です。

やはり、終戦直後の貧富の差がある環境ではなく、平和な世の中になって貧富の差をそこまで感じることのなくなった時代に、共産主義を支持する若者が減りつつあるため、日本を変えようと立ち上がったり、共産思想にのめりこむような若者がいなくなってしまっている可能性もあります。

政府は指名手配の似顔絵を修正

yan_ya on Instagram: “#高知#指名手配#赤軍#重信房子#写真#撮影#ミラーレス一眼#Japón#kochi #Япония#japan #poster#fugitivewarrant#redarmy#sony#a6000#redarmy#土佐マップ” (560964)

日本赤軍が起こした事件から、およそ30年以上の月日がたった今、当時作成した国際指名手配のメンバーの似顔絵では今の顔と似つかない人も多いということもあり、日本政府は2019年になって当時のまだ若かりし頃の、日本赤軍のメンバーの似顔絵から30年ほど年をとった似顔絵に変更し、配布しました。

そして、メディアや新聞を通じて改めて今現在の高齢になった元メンバーの似顔絵を見て、似ている人がいたら情報提供を呼び掛けるように警察から案内がありました。

日本赤軍の主張は肯定できるか

Man Lonely Park - Free photo on Pixabay (561052)

日本赤軍のメンバーたちがとった無差別テロという選択肢は、多くの死傷者が出て、それにより傷ついたりする人もいます。決して許される行為ではありません。

しかし、彼らは当時その考え方、思想、行動がすべて正しいことだと思って「自分たちが世界中を変える」という考え方を貫いていました。そんな彼らの主張は果たして肯定できるのか、ここからはそれについてみていきます!

弱者が虐げられる世界への不満

Fist Strength Anger - Free photo on Pixabay (529759)

日本赤軍のメンバーだった若者たちを、過激テロ組織まで作って社会を変えたいと行動に移させたのは、彼らの生まれ育った家庭環境や、周りの環境が大きく影響しているといえます。

特に終戦して間もない時代に生まれ育った世代のため、貧富の差が近年より激しく、彼らはどちらかといえば弱者としての立場でそれまで生きてきました。そして、そんな風に自分たちのような弱者が虐げられる社会へ必死に抵抗して抗いたかったのかもしれません。

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