目次
- 日本中を騒がせた日本赤軍の信念と現在
- 日本赤軍とは
- 日本赤軍の誕生
- 日本赤軍の原形
- 日本赤軍の活動内容
- 主要メンバー逮捕
- 右翼・左翼とは
- 保守派の右翼
- 愛国心が強い
- 天皇制を推奨
- 革命派・革新派の左翼
- 急進的・革命的な政治勢力
- より平等な社会を目指す
- 日本赤軍の目的
- 国際根拠地論
- 共産主義社会の建設
- 共産主義とは
- マルクス・レーニンが提唱
- 共産主義の思想
- 資本主義の広がりによって貧富の差が拡大
- 労働者や弱者の人間性が強者・経営者層によって奪われる
- 共産主義を始めるために
- 共産主義を実現する為の準備
- 現存する資本家を排除
- 「暴力的に転覆する」以外に方法はないと断言
- 共産党による国家を独占
- 共産党以外の人々は全て労働者
- 日本赤軍が目指した世界
- 日本共産党と同じ理念
- 共産主義による犠牲者
- 日本赤軍が関与した事件
- あさま山荘事件
- テルアビブ空港乱射事件
- ドバイ日航機ハイジャック事件
- 在クウェート日本大使館占拠事件
- ハーグ事件
- ダッカ日航機ハイジャック事件
- ジャカルタ事件
- 三井物産マニラ支店長誘拐事件
- 主要メンバー重信房子
- 生い立ち
- 家族
- 学生運動
- 日本赤軍での立ち位置
- 美人革命家
- 逮捕
- 最高幹部「奥平純三」
- 生い立ち
- 家族
- 日本赤軍最高幹部
- 関与した事件
- 生死不明
- 他の日本赤軍の主要メンバー【逮捕者】
- 奥平剛士
- 丸岡修
- 和光晴生
- 西川純
- 他の日本赤軍の主要メンバー【逃亡者】
- 岡本公三
- 坂東國男
- 大道寺あや子
- 佐々木規夫
- 日本赤軍の現在
- 2000年最高幹部重信房子の逮捕によって活動は下火になる
- 解散宣言
- 解散の撤回
- 重信房子は獄中で闘病中
- 現在も逃走中のメンバー
- 生活保護を受給している元日本赤軍メンバー
- 日本人村で暮らしている
- 近年目立った活動は見られない
- 政府は指名手配の似顔絵を修正
- 日本赤軍の主張は肯定できるか
- 弱者が虐げられる世界への不満
- 強者が強者のためだけに規律を作る事への不満
- 全ての人々が平等になり嫉妬のない世界
- 多くの人々の犠牲によって現在の日本の平和が保たれている
テルアビブ空港乱射事件
via pixabay.com
テルアビブ空港乱射事件は、別名・ロッド空港乱射事件とも呼ばれています。1972年5月30日にイスラエルにあるロッド国際空港(現在はベン・グリオン国際空港)で発生したテロ事件です。
フランスのパリ発ローマ経由のエールフランス機で、この日、ロッド国際空港に降り立った3人は、突如銃を空港の旅客ターミナルにいた乗客や職員に向けて、無差別に乱射し、さらに旅客機に向かって手りゅう弾を2発投げつけました。
フランスのパリ発ローマ経由のエールフランス機で、この日、ロッド国際空港に降り立った3人は、突如銃を空港の旅客ターミナルにいた乗客や職員に向けて、無差別に乱射し、さらに旅客機に向かって手りゅう弾を2発投げつけました。
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この事件は当時、日本赤軍とはまだ名乗っていなかったのちの日本赤軍メンバーの幹部、奥平剛士と京都大学の学生だった安田安之、そして岡本公三の3人が中心メンバーとなった犯行でした。
この無差別乱射事件により、26人が死亡し、73人が重軽傷を負いました。その後、岡本公三が警備隊に押さえつけられ、奥平剛士と安田安之は死亡したとされています。
この無差別乱射事件により、26人が死亡し、73人が重軽傷を負いました。その後、岡本公三が警備隊に押さえつけられ、奥平剛士と安田安之は死亡したとされています。
ドバイ日航機ハイジャック事件
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ドバイ日航機ハイジャック事件は、1973年7月20日にアムステルダム発の日本航空機が上空で、突如起こったハイジャック事件です。
当時、テルアビブ空港乱射事件に関与していた疑いのあった日本赤軍の丸岡修をはじめとした日本赤軍のメンバーたちが起こした事件で、犯人の1人だった女性がラウンジで誤って手りゅう弾を爆破させたことで、女性は死亡しました。
当時、テルアビブ空港乱射事件に関与していた疑いのあった日本赤軍の丸岡修をはじめとした日本赤軍のメンバーたちが起こした事件で、犯人の1人だった女性がラウンジで誤って手りゅう弾を爆破させたことで、女性は死亡しました。
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そして、その女性の誤爆をきっかけにハイジャックが発生し、飛行機が飛んでいる間ずっと、乗客は全員脅されて両手を頭の上に挙げて監視されていました。
在クウェート日本大使館占拠事件
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在クウェート日本大使館占拠事件は、クウェートで1974年2月6日に起こったテロ事件のことで、クウェート市内にある在クウェート日本大使館を日本赤軍とPFLPと名乗る犯人グループに占拠され、大使館員を人質にして国外出国を要求しました。
日本政府はその要求に従い早急に、日本航空機に武装したままの犯人を登場せ、クウェート国際空港に向かいました。さらに、クウェートから離陸後、犯人グループは次はイラクに向かうことを要求しましたが、イラク政府側はこれを断固拒否しました。
日本政府はその要求に従い早急に、日本航空機に武装したままの犯人を登場せ、クウェート国際空港に向かいました。さらに、クウェートから離陸後、犯人グループは次はイラクに向かうことを要求しましたが、イラク政府側はこれを断固拒否しました。
ハーグ事件
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ハーグ事件は、1974年9月13日にオランダのハーグにあるフランス大使館に日本赤軍のメンバーが立てこもった事件です。立てこもったのは、当時日本赤軍のメンバーだった奥平順三、和光晴生、西川純の3人が、拘束された日本赤軍メンバーの釈放と金銭を目的に起こした事件でした。
日本赤軍のメンバーたちは、人質をとって犯行グループは要求をのませ、その後スキポール空港を離陸してシリアのダマスカス空港へと逃れました。
日本赤軍のメンバーたちは、人質をとって犯行グループは要求をのませ、その後スキポール空港を離陸してシリアのダマスカス空港へと逃れました。
ダッカ日航機ハイジャック事件
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ダッカ日航機ハイジャック事件は、1977年9月28日にインドのボンベイ国際空港を離陸した日本航空の機内でハイジャック事件が起こり、乗客を人質にとり、600万ドルの身代金と拘束中だった日本赤軍のメンバーである奥平純平らを犯人の要求通り解放し、バングラデシュのダッカ国際空港へと着陸しました。
解放されたメンバーには日本赤軍の奥平純三以外に、東アジア反日武装戦線のメンバー、赤軍派、そして獄中組合といったさまざまな団体のメンバーがいました。この事件がきっかけとなり、日本政府はSATを設置したそうです。
解放されたメンバーには日本赤軍の奥平純三以外に、東アジア反日武装戦線のメンバー、赤軍派、そして獄中組合といったさまざまな団体のメンバーがいました。この事件がきっかけとなり、日本政府はSATを設置したそうです。
ジャカルタ事件
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ジャカルタ事件は、1986年5月14日にジャカルタのアメリカ大使館と日本大使館に、突然ロケット弾が発射され、カナダ大使館の前の車も何者かに爆破されたテロ事件です。この事件の発生後には、日本やロンドン、そしてローマやパリなどの各国報道機関に「反帝国主義国際旅団」と名乗る団体からの犯行声明が届きました。
事件後の現場検証では、発射元のホテルの部屋から当時、日本赤軍のメンバーだった城崎勉の指紋が見つかったことから、首謀者は日本赤軍とされました。
事件後の現場検証では、発射元のホテルの部屋から当時、日本赤軍のメンバーだった城崎勉の指紋が見つかったことから、首謀者は日本赤軍とされました。
三井物産マニラ支店長誘拐事件
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三井物産マニラ支店長誘拐事件は、1986年11月15日に三井物産マニラ支店長がフィリピン共産党の軍事組織などのメンバーに誘拐された事件で、事件後には三井物産本社や報道機関に脅迫状や犯人に支店長が虐待されているかのような姿の写真が送られました。
その後、何度か同じような脅迫状が届き、身代金と引き換えに支店長は解放されました。支店長にけがはなく、身代金目的の誘拐事件でしたが、その事件に日本赤軍の協力があったことが、犯人たちの証言で明らかになったそうです。
その後、何度か同じような脅迫状が届き、身代金と引き換えに支店長は解放されました。支店長にけがはなく、身代金目的の誘拐事件でしたが、その事件に日本赤軍の協力があったことが、犯人たちの証言で明らかになったそうです。
主要メンバー重信房子
日本赤軍の主要メンバーだった重信房子は、どのような生い立ちを経て、学生運動を起こして日本赤軍の一員として、このような事件の数々を起こしたのでしょう。ここでは、美人革命家とも呼ばれた彼女の生まれてからの生い立ちをみていきます。
生い立ち
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