2019年5月18日 更新

女性差別の歴史と現状は?日本と外国の現状と差別が行われてきた理由

女性差別はいつから起こっているのでしょうか。その歴史を紐解けば、日本の女性差別について見えてくるでしょう。実は日本の女性差別は歴史だけではなく宗教上の問題なども絡んでいるのです。日本や世界の女性差別について詳しく解説していきます。

目次

実は、奈良、平安時代においては、女性の地位はとても高かったという日本の歴史があります。女性は子供の育児や教育、さらには商売をしている家庭においては、その商売にまで参加していた時代なので、女性はとても強い存続でした。

さらに、女性が神職についたときにはさらなるちからが女性にはありました。元元この時代は女性は大切にされていましたが、神に仕える立場の女性はより、大切にされてきたという背景があります。

中でも家庭内での実権は女性が握っていた時代です。女性が強すぎたとも言える時代だったのです。

母系制社会であったため母親の発言力が強かった

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かつての日本は、母系制社会でした。それも、全世界も珍しいほどの母系制社会であったため、女性の発言力がとても強かったのです。

先程ご説明した奈良、平安時代もそうですが、その他の時代においても女性が家庭を守っているという考えは根強く、そのため発言権は常に女性にあると言えるほどだったのです。平安時代以降、女性は男性の家に入るという流れが始まり、徐々に女性としての地位や発言権は失われていったという背景があるのです。

宗教的地位も女性の方が高かった

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日本でいうことろの宗教的な地位は、昔は女性が圧倒的に強かったという歴史があります。日本の卑弥呼は女性であったと言われており、こうした部分も宗教的には男性よりも女性の方が位が高い存在であったことが分かります。

また、卑弥呼は自らが神だと言ったということがありますので、昔は男性よりも発言権が強かった、こうしたことを公に発信できる環境にあったことがイメージできます。

社会的地位は男性優位

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しかし、現代においての社会的な位置は、やはり男性が優位に立っていると言えます。先程もご説明したとおり、平安時代の終わりに、女性は男性の家に入るというスタイルに変わってからは、女性よりも男性の方が強くなったのです。

また、女性は家を守ることが目的とされ、男性を外に出てお兼ねを稼いでくる子いう考えになってきました。そうした歴史的背景から、お金を稼いでくる者が強い、男性がいなければ生活ができないという社会的な考えが強くなり、女性を差別していくこととなった歴史があるのです。

武士の地位が確立されたことによって男性がより優位になる

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また、歴史的には武士の地位の存在も女性差別と大きく関係しています。

戦国の時代となり、より女性は家を守らなければならないという風潮が強くなってきました。また、武士である男性は外で仕事をするというイメージがより強くなり、さらに力という面でも男性の方がかなり強くなってしまいました。

結果的に、武士の誕生により、女性の差別は加速していったのです。

鎌倉幕府・朝廷や貴族でも女性が実権を握ることがあった

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基本的には、平安時代の終わり頃から女性は弱い立場に追い込まれていました。そして、鎌倉時代などにおいては、その弱さはより強調されていくことになりますが、実は鎌倉幕府や、朝廷や貴族の中でも女性が実権を握ることが一部ではありました。

その女性の中でもとくに有名な人物は北条政子です。北条政子は、鎌倉幕府の実権を握っていた人物として有名です。尼将軍という名が付けられるほどであり、一部の女性ですが鎌倉幕府の時代でも女性差別に屈することなく、強さを発揮してた女性はいたのです。

江戸時代に男尊女卑傾向が強くなった

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ただ、江戸時代に入ると、男尊女卑の考えがとても強くなります。女性は男性から軽視されるようになっていき、さらにはこの時代から貧しい家では女は遊女になる傾向が強かったため、さらに女性に対しての差別は強くなりました。

酷い男性になると、女性を物として扱うような場面もあったほどです。江戸時代の男尊女卑の傾向は、日本の女性差別の加速を強めていった出来事だと言えます。

明治時代さらに男尊女卑…思想が強くなる

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明治時代に入ると、より男尊女卑の傾向は強くなります。江戸時代は女性としての存在は確立されてはいましたが、明治時代は、女性の存在すらも消し去るような時代だったと言えます。

まず、明治時代は女性が公職に就くことはできませんでした。法律としては公職に就くことは可能でしたが、実際は無理でした。

さらに、女性には投票権すら与えていなかったのです。つまり、女性に対しての発言権はゼロに等しい状況だったのです。

婦人解放運動が起こるも10年ほどで衰退する

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しかし、明治時代には婦人解放運動も起こりました。その立役者とされているのが、事由民権運動における景山英子や岸田俊子です。景山英子や岸田俊子の婦人解放運動により、明治時代の女性の言動は一部で指示されるようにもなってきました。

しかし、この婦人解放運動もおおよそ10年ほどで衰退してしまいます。景山英子や岸田俊子は、とても優秀な人物でしたが、それでも夢が叶うまでには至りませんでした。

明治時代はそれほど女性差別が強い時期でもあったのです。

良妻賢母教育を国是とすべきであるという声明

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第二次世界大戦前の日本でも、女性差別は根強いものがありました。中でも良妻賢母教育を国是とすべきだという声明はとても大きな意味を持つことになりました。

良妻賢母教育は、女子教育理念を現しており、一見すれば女性の教育に力を入れる政策のように見られがちですが、実はこの良妻賢母教育は男性は仕事をして女性は家事や育児に専念するという教育だったのです。まさに、この考えは現代においても浸透していることで、第二次世界大戦前の良妻賢母教育が日本の女性において、歴史的な意味を持つことになったと言えます。

女性解放運動家が誕生

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