目次
- ハローキティ事件って?
- ハローキティ事件の概要
- 事件の一連の流れ
- 被害者女性について
- 加害者の男性3人について
- ハローキティ事件の詳細
- 被害者と加害者の関係
- 事件の発端
- 1ヶ月の監禁拷問
- 麻薬の摂取や強姦
- 被害者女性死亡後の死体遺棄
- 被害者女性の頭部をキティの頭部へ
- 事件の発覚
- 警察がアパートへ突入
- キティのぬいぐるみの発見
- 犯人の逮捕
- 既に3人の加害者は逃亡していた
- その後無事に全員逮捕
- 裁判について
- 判決は終身刑
- 上告
- 罪のなすりつけあい
- 2004年に禁錮18年に減刑
- 被害者女性のその後
- 頭部以外は発見できなかった
- 家族の元に頭部が来たのは5年後
- 残虐なハローキティ事件
- 犯人は異常者であった
- 祖母の病気を治すために借金をしたのがきっかけ
- 放送規制がかかったという話も
- 映画「新・八仙飯店之人肉饅頭」
- 映画「人肉晩餐会」
- 最もセンセーショナルな事件第4位に
- 似たような事件
- 女子高生コンクリート殺人事件
- 北九州監禁殺人事件
- 残虐な拉致監禁殺人事件
via pixabay.com
働きもせずドラッグばかりせがむグレースは次第に孤立し、いじめの対象に。そしてそれはエスカレートしていき、密室への拷問、殺害に至るというもの。
こちらも『ハローキティ事件』の後(2001年)に公開されており、事件を基に作った映画でしょう。
こちらも『ハローキティ事件』の後(2001年)に公開されており、事件を基に作った映画でしょう。
最もセンセーショナルな事件第4位に
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犯人の異常性や、少女の見た夢が事件解決のカギとなったという特異性から、この『ハローキティ事件』は2003年「香港で最もセンセーショナルな事件」の第4位とされました。
似たような事件
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『ハローキティ事件』は香港で起きた事件ですが、このような凶悪で残忍な事件は世界中にいくつもあり、当然日本も例外ではありません。
次の見出しからは『日本のハローキティ事件』ともいうべき類似事件をご紹介していきます。いずれもかなりショッキングな内容ですので心して読んでください。
次の見出しからは『日本のハローキティ事件』ともいうべき類似事件をご紹介していきます。いずれもかなりショッキングな内容ですので心して読んでください。
女子高生コンクリート殺人事件
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「女子高生コンクリート殺人事件」は1988年に東京足立区で起きた猥褻誘拐・略取、監禁、強姦、暴行、殺人、死体遺棄事件です。
この事件は加害者が全て少年(未成年)であったこと、犯罪内容が重大・悪質であったこと、また犯行期間も約3か月という長期であった事、少女が監禁されている事に気づきつつも誰も被害者を救わなかった事などの点で、当時の社会に大きな衝撃を与えました。
この事件は加害者が全て少年(未成年)であったこと、犯罪内容が重大・悪質であったこと、また犯行期間も約3か月という長期であった事、少女が監禁されている事に気づきつつも誰も被害者を救わなかった事などの点で、当時の社会に大きな衝撃を与えました。
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1988年11月25日、犯人グループはアルバイト先から自宅に帰る途中だった女子高生に声をかけ、脅した後ホテルで強姦。その後犯人の1人の自宅の2階で女子高生を監禁しました。
そこから約2か月に及ぶすさまじい拷問の日々が始まりました。暴行や輪姦はもちろん、揮発性の油を太ももに注ぎライターで炙る、1.74Kgもあるキックボクシングの練習機でゴルフスイングの要領で複数回殴打。
殴打された顔面を見て「でけえ顔になった」とあざ笑う、顔面に蝋を垂らし顔一面を蝋で覆いつくしたあげく瞼にろうそくを立てると凄惨な拷問が繰り広げられました。そのすさまじい拷問の数々に、被害者の女子高生は「もう殺して」と懇願したといいます。
そこから約2か月に及ぶすさまじい拷問の日々が始まりました。暴行や輪姦はもちろん、揮発性の油を太ももに注ぎライターで炙る、1.74Kgもあるキックボクシングの練習機でゴルフスイングの要領で複数回殴打。
殴打された顔面を見て「でけえ顔になった」とあざ笑う、顔面に蝋を垂らし顔一面を蝋で覆いつくしたあげく瞼にろうそくを立てると凄惨な拷問が繰り広げられました。そのすさまじい拷問の数々に、被害者の女子高生は「もう殺して」と懇願したといいます。
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約2か月にも及ぶ凄惨な拷問の末、女子高生は殺害されました。
犯行の発覚を恐れた犯人グループは、付近で取ってきたドラム缶に遺体を入れコンクリートを流し込むと黒いビニール袋を被せ埋め立て地へ遺棄しました。
しかし1989年3月29日被害者の遺体が発見されたことから事件が発覚。犯人グループは逮捕され、最大で17年の懲役判決を言い渡されました。
犯行の発覚を恐れた犯人グループは、付近で取ってきたドラム缶に遺体を入れコンクリートを流し込むと黒いビニール袋を被せ埋め立て地へ遺棄しました。
しかし1989年3月29日被害者の遺体が発見されたことから事件が発覚。犯人グループは逮捕され、最大で17年の懲役判決を言い渡されました。
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この『女子高生コンクリート殺人事件』は『ハローキティ事件』の10年前の事件ですが、犯人の異常さや凄惨な暴行等『ハローキティ事件』との類似点がたくさんあります。
北九州監禁殺人事件
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2002年に福岡県北九州市で起こった事件。日本史上稀に見る残酷な事件として耳にした方も多いのではないでしょうか?
はじめは1人の少女の監禁事件と思われていたこの事件。少女の口から語れた真実から、その凄惨さに日本中が震撼しました。
この事件も『ハローキティ事件』と似た部分が多いのですが、最大の違いは「拷問と虐待によってマインドコントロールし、自身の手を汚すことなく用済みとなった人間を殺害していた」という部分です。
はじめは1人の少女の監禁事件と思われていたこの事件。少女の口から語れた真実から、その凄惨さに日本中が震撼しました。
この事件も『ハローキティ事件』と似た部分が多いのですが、最大の違いは「拷問と虐待によってマインドコントロールし、自身の手を汚すことなく用済みとなった人間を殺害していた」という部分です。
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犯人である松永太死刑囚と緒方純子受刑者の2人は詐欺と脅迫容疑で警察に指名手配されていました。逃亡生活で金に困った2人は、マンションの仲介業者の男性の弱みを握り男性の家族と共同生活を始めます。
同居が始まると犯人たちは男性の行動に難癖をつけては「通電」等の暴力を始めました。そしてその虐待は男性の娘(8歳)にまで及んでしまいます。
虐待を受け続けた男性は共同生活を始めた1年4か月後、死亡しました。松永死刑囚は緒方受刑者に遺体をバラバラに解体し、刻んで捨てさせました。
同居が始まると犯人たちは男性の行動に難癖をつけては「通電」等の暴力を始めました。そしてその虐待は男性の娘(8歳)にまで及んでしまいます。
虐待を受け続けた男性は共同生活を始めた1年4か月後、死亡しました。松永死刑囚は緒方受刑者に遺体をバラバラに解体し、刻んで捨てさせました。
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男性を殺害する前、松永死刑囚は男性の知人の妻を結婚詐欺にかけ、男性と同様監禁。金を奪って虐待していましたが逃げられてしまいました。
松永死刑囚は緒方受刑者に資金作りを要求。緒方受刑者が内緒で湯布院に働きにでたところ、松永死刑囚は彼女が逃げたと思い込み、その魔の手を緒方受刑者の家族へと伸ばしました。
松永死刑囚は緒方受刑者の家族に芝居をさせ、緒方受刑者を呼び戻します。さらに家族に対して「緒方受刑者が男子を殺害し死体を解体したうえ、女性を海に突き落として殺害した」と嘘を伝えました。
そして家族から「緒方受刑者を時効成立まで逃走させる知恵料」などの名目で4000万円以上のお金をだまし取りました。
松永死刑囚は緒方受刑者に資金作りを要求。緒方受刑者が内緒で湯布院に働きにでたところ、松永死刑囚は彼女が逃げたと思い込み、その魔の手を緒方受刑者の家族へと伸ばしました。
松永死刑囚は緒方受刑者の家族に芝居をさせ、緒方受刑者を呼び戻します。さらに家族に対して「緒方受刑者が男子を殺害し死体を解体したうえ、女性を海に突き落として殺害した」と嘘を伝えました。
そして家族から「緒方受刑者を時効成立まで逃走させる知恵料」などの名目で4000万円以上のお金をだまし取りました。
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両親と妹が頻繁に松永死刑囚に呼び出されれ金策などを話し合うようになりました。さらに妹の夫までが松永死刑囚に取り込まれ、妹夫妻の娘と息子の同居生活が始まってしまいます。
松永死刑囚は妹の夫に不満を言わせ、暴力を振るわせました。家族には緒方受刑者の犯行に加担したと負い目を感じさせる為に、男性を殺害し処理した台所の配管の取り換えなどを手伝わせました。
そして独自のルールを決め、家族全員を自分のマインドコントロール下に置いていきました。
松永死刑囚は妹の夫に不満を言わせ、暴力を振るわせました。家族には緒方受刑者の犯行に加担したと負い目を感じさせる為に、男性を殺害し処理した台所の配管の取り換えなどを手伝わせました。
そして独自のルールを決め、家族全員を自分のマインドコントロール下に置いていきました。
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そのルールは松永死刑囚が支持するときだけとれる1日1回の食事。水も松永死刑囚が許した時だけ。しかもご飯の内容は炊事がいらないという理由で菓子パンか食パンのみ。
しかもそんきょの姿勢で食器もなし、7~8分以内に食べれなければ「通電」や殴る蹴るの制裁が加えられました。排せつや睡眠も松永死刑囚の支配下にあり、一日中無言のまま立たされた事もあったといいます。
また家族一人一人に「ランク付け」をしてその時々によってランク付けを変えることによって、お互いに敵対心を生ませました。
こうして逃げ場のない環境で松永死刑囚は独自のルールと暴力、暴言によって緒方受刑者一家を支配していきました。
しかもそんきょの姿勢で食器もなし、7~8分以内に食べれなければ「通電」や殴る蹴るの制裁が加えられました。排せつや睡眠も松永死刑囚の支配下にあり、一日中無言のまま立たされた事もあったといいます。
また家族一人一人に「ランク付け」をしてその時々によってランク付けを変えることによって、お互いに敵対心を生ませました。
こうして逃げ場のない環境で松永死刑囚は独自のルールと暴力、暴言によって緒方受刑者一家を支配していきました。
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そして松永死刑囚は緒方受刑者家族の命を次々と奪っていきました。父親の些細な言葉に腹を立てた際には、緒方受刑者に通電をさせ父親を殺害。家族全員に解体を命じ、さらなる弱みを負わせました。
日常的な虐待や夫を自ら処理したショックで錯乱した母親を浴室に閉じ込めました。そして妹夫婦に殺害を指示。今までと同様に解体もさせました。
3人目の犠牲者は妹。松永死刑囚の指示により夫が絞殺。その後夫は虐待により死亡、甥と姪も殺害されました。
日常的な虐待や夫を自ら処理したショックで錯乱した母親を浴室に閉じ込めました。そして妹夫婦に殺害を指示。今までと同様に解体もさせました。
3人目の犠牲者は妹。松永死刑囚の指示により夫が絞殺。その後夫は虐待により死亡、甥と姪も殺害されました。
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