目次
グリュック王国は1980年代に帯広郊外に建設されたテーマパークの跡地です。中世のドイツをイメージして造られており、ヨーロッパの街並みのような洋館が建ち並び、開園当時は多くの人が訪れ賑わっていました。
1992年にはビュッケブルク城がシンボルのホテルも建てられ開発が進んでいましたが、次第に客足が減っていき2007年に閉園となりました。
現在も管理されている土地ですので立ち入ることはできませんが、地元では肝試スポットとして知られています。
1992年にはビュッケブルク城がシンボルのホテルも建てられ開発が進んでいましたが、次第に客足が減っていき2007年に閉園となりました。
現在も管理されている土地ですので立ち入ることはできませんが、地元では肝試スポットとして知られています。
いなせレジャーランド
旧遊覧船乗り場の奥にも野湯があるらしいが、立入り禁止になっていたので諦めた。
— むぅさん (@open_air_bath) October 28, 2017
全然関係無いが、旧遊覧船乗り場から道路を挟んだ向かい側には、巨大な廃墟がある。写真がそれ。
かつては「いなせレジャーランド」とか言ったらしく、探索した人のブログによると、一日がかりになるほど広いらしい。 pic.twitter.com/CqP2s6VbFb
いなせレジャーランドは、総合遊園地として北海道の人々に利用されていました。広い敷地には温泉施設や露天風呂、遊園地や温水プール、テニスコートやキャンプ場などがあった大型施設でした。
屈斜路湖に面した場所にあり、当時は子供から大人まで自然のなか遊べるレジャー施設として人気でしたが、現在はゴルフ場などを除いたほとんどのものは完全に廃墟となっています。
屈斜路湖に面した場所にあり、当時は子供から大人まで自然のなか遊べるレジャー施設として人気でしたが、現在はゴルフ場などを除いたほとんどのものは完全に廃墟となっています。
天華園
via pixabay.com
天華園は1994年に開園した中国をモチーフにしたテーマパークです。中国から直接資材を取り寄せて造られたため、清朝の宮廷庭園の様子も忠実に再現されていました。
敷地は約40,000㎡あり、高さ40mの五重塔がシンボルとして建っており、園内には中華料理店や雑技団による公演なども催されるなど、約60億をかけて建設されたと言われています。
開園当時は27万人を超える入場者数を記録しましたが、その後来場者数の減少により1999年11月に閉園。徐々に廃れ廃墟マニアの間では人気スポットとして知られていましたが、2017年に解体工事が開始されました。
敷地は約40,000㎡あり、高さ40mの五重塔がシンボルとして建っており、園内には中華料理店や雑技団による公演なども催されるなど、約60億をかけて建設されたと言われています。
開園当時は27万人を超える入場者数を記録しましたが、その後来場者数の減少により1999年11月に閉園。徐々に廃れ廃墟マニアの間では人気スポットとして知られていましたが、2017年に解体工事が開始されました。
北海道の廃墟【学校】
学校は昔から怪談話もあるため、心霊スポットとしても外せない場所です。そんな学校の廃虚も北海道にはあり、心霊スポットや廃虚マニアの間で知られています。
その雰囲気だけで怖さを感じますが、心霊現象も噂されていますのでそのような場所には興味本位で近づかないようにしましょう。
その雰囲気だけで怖さを感じますが、心霊現象も噂されていますのでそのような場所には興味本位で近づかないようにしましょう。
沼東小学校
沼東小学校はかなり有名な心霊スポットとして知られており、森のなかにあり現在は使用されておらず廃墟となっています。
山道を歩いて行きますのでたどり着くまで時間がかかるため難易度が高く、そしてその建物は赤さびた鉄筋の骨組みだけになり窓ガラスは割れています。
1958年に建てられ1,500名ほどの子供たちが在籍していましたが、1972年に炭鉱が閉鎖しその二年後に廃校になりました。この沼東小学校では赤いランドセルを背負った子供が度々目撃されており、かつて学校で神隠しに遭った子供ではと噂されています。
山道を歩いて行きますのでたどり着くまで時間がかかるため難易度が高く、そしてその建物は赤さびた鉄筋の骨組みだけになり窓ガラスは割れています。
1958年に建てられ1,500名ほどの子供たちが在籍していましたが、1972年に炭鉱が閉鎖しその二年後に廃校になりました。この沼東小学校では赤いランドセルを背負った子供が度々目撃されており、かつて学校で神隠しに遭った子供ではと噂されています。
はぼろ緑の村(太陽小学校)
はぼろ緑の村は、宿泊施設が廃墟化したものですが元々は築別炭鉱集落の太陽小学校として利用されていました。学校は昭和46年に廃校し、その後昭和57年に再開発がされてはぼろの村となりましたが、平成12年に廃業しています。
当時、羽幌町の炭鉱集落は太陽小学校開校時とても栄えており、1,000人を超える児童数でしたが、現在はその面影はなく窓ガラスは割れ寂しい雰囲気を醸し出しています。
そして、円形の体育館はプラネタリウムのような骨組みが見どころでしたが、2018年に雪の重みから崩壊してしまい現在は見ることができなくなりました。
当時、羽幌町の炭鉱集落は太陽小学校開校時とても栄えており、1,000人を超える児童数でしたが、現在はその面影はなく窓ガラスは割れ寂しい雰囲気を醸し出しています。
そして、円形の体育館はプラネタリウムのような骨組みが見どころでしたが、2018年に雪の重みから崩壊してしまい現在は見ることができなくなりました。
旭小学校
2019.8.7撮影。夕張市石炭博物館の入口から「宿泊施設 ファミリースクール ふれあい」が見えました。
— ばふぁろうず@12/19〜22メルボルン (@itemae_spirits) August 11, 2019
元は夕張市立旭小学校の建物。1975年開校、1983年廃校という短命の小学校でした。
宿泊施設としての利用は2006年で終わり、現在は廃墟と化しているようです。#北海道#夕張市#旭小学校#廃校 pic.twitter.com/DqDwDbHgdg
旭小学校は夕張市にありますが開校からわずか8年で閉校し、その後は研修施設として利用されていましたが2006年に閉鎖となり現在は廃墟となっています。
今では教室の天井は朽ち果て窓ガラスは割れているなど、当時の姿はなくポツンと取り残されたように建っており寂しさを感じさせています。
今では教室の天井は朽ち果て窓ガラスは割れているなど、当時の姿はなくポツンと取り残されたように建っており寂しさを感じさせています。
北海道の廃墟【その他】
via pixabay.com
北海道は炭鉱産業が盛んでしたが、現在ではほとんどが閉山されており今では釧路だけになっています。そんな炭鉱の跡地などもマニアの間では人気のスポットとして知られています。
まだまだ北海道には廃墟がありますので、学校や病院など以外のところもご紹介していきます。
まだまだ北海道には廃墟がありますので、学校や病院など以外のところもご紹介していきます。
住友奔別炭鉱
住友奔別炭鉱は、明治33年に開抗し閉山までの71年間石炭を発掘してきました。高さ51mのやぐらは当時東洋一を誇り、効率重視のことから採炭した石炭は累計2,650万トンを上るそうです。
現在はそのやぐらも鉄骨が錆びてしまい、当時活気があったその面影は残っておらず、ただただ哀愁を漂わせているその姿は人気の廃墟スポットとなっています。
現在はそのやぐらも鉄骨が錆びてしまい、当時活気があったその面影は残っておらず、ただただ哀愁を漂わせているその姿は人気の廃墟スポットとなっています。
北炭平和炭鉱
さっきの北炭夕張炭鉱 平和坑の外見 pic.twitter.com/AZmvPSrs6Q
— ふたせ (@SumitomoPonbetu) November 8, 2016
北炭平和炭鉱は夕張市北西に位置しており、明治39年に開削が始まりましたが、その後ガス爆発の大災害が起こり400人を超える人々が亡くなりました。
ガス処理のため開鉱と閉鉱を繰り返しており、昭和43年にも火災により30名以上が亡くなっています。そして昭和50年に閉山し、現在は廃虚化しており周囲の草木が生い茂ってしまっています。
ガス処理のため開鉱と閉鉱を繰り返しており、昭和43年にも火災により30名以上が亡くなっています。そして昭和50年に閉山し、現在は廃虚化しており周囲の草木が生い茂ってしまっています。
三笠ジオパーク
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