2020年5月2日 更新

鈴ヶ森刑場はいわくつきの遺跡?噂される心霊現象と過去の実態とは

東京都品川区にある鈴ヶ森刑場は一見するとただの遺跡ですが、心霊スポットとしても知られています。ここでは昔、220年に渡って多くの人が処刑されてきた歴史を持っているため、漂う霊の数も多いようです。今回はこの鈴ヶ森刑場について詳しく紹介します。

処刑された罪人たちの霊

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鈴ヶ森刑場に漂っている幽霊は、そのほとんどが過去に処刑された人であると言われています。本当の罪人であればまだいいのですが、中には罪を被せられたり冤罪だったりして、不本意に殺された人も多くいるでしょう。

そのような人の中には、突然すぎて状況を把握できないまま殺され、自分が死んだことにも気づいていない人や、何も罪を犯していないのに処刑されたことへの恨みで魂がこの世に残っている人が多いとされています。

鈴ヶ森インター入り口で多発する事故

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鈴ヶ森刑場の近くには高速道路が走っており、鈴ヶ森インターの入口があります。ここは事故多発場所としても知られています。幽霊の仕業であるかどうかは定かではありませんが、夜中にこの高速道路を走っていて、実際に幽霊を見たという目撃情報も多く寄せられています。

その人たちは鈴ヶ森刑場の存在を知らなかったため、霊を見たというのは思い込みではなく事実ではないかと見られています。地元では、もっぱら鈴ヶ森刑場が事故に関係しているという噂です。

井戸の金網を外すと祟られる

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先ほど紹介した「首洗の井戸」は、現在金網が被せられています。これは井戸の中にごみを捨てられないようにするために設置されたようですが、この金網を外すと祟られるという噂があります。

この場所は斬首された後に洗われる場所であり、水が溜まっていた場所なので幽霊も留まりやすかったとされています。金網によって閉じ込められている幽霊が、金網を外すことによって解き放たれ、その外した人に殺されたと勘違いしてしまうようです。

鈴ヶ森刑場の逸話

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鈴ヶ森刑場には様々な逸話が残されています。その多くが現在でも演劇や歌舞伎の題材となっています。

ここでは鈴ヶ森刑場にまつわる5つの有名な逸話を紹介します。

恋人に会うため放火「八百屋お七」

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鈴ヶ森刑場で最も有名な逸話が「八百屋お七」です。1683年に起きた天和の大火によってお七の家は燃えてしまいました。お七は住む家が無くなったので親と一緒に寺に避難し、そこで生田庄之介と恋に落ちます。

しかし家が建て直されたことで2人はこれ以上会えなくなります。恋人に会いたいあまり、また家が燃えたら寺に住めると考えたお七は、建て直されたばかりの家に火を付けました。

火はすぐに消されましたが、お七は放火の罪で捕まり、鈴ヶ森刑場にて火あぶりの刑となりました。

幕府転覆を図った「丸橋忠弥」

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丸橋忠弥は鈴ヶ森刑場で初めて処刑された人物として知られています。浪人の不満を利用し、慶応の変を起こして幕府転覆をはかった由井正雪の一味だったそうです。

結局、由井らは仲間が幕府に密告したことで計画は中止となり、由井は自害しました。丸橋忠弥も寝ていたところを襲われ、その後鈴ヶ森刑場に運ばれて磔の刑となりました。

この話は今でも受け継がれており、多くの芝居やドラマで再現されています。作中の丸橋忠弥は熱血漢として描かれています。

辻斬りの「白井権八」

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白井権八は、江戸時代に実在した武士で、本名は平井権八です。18歳の若さで父親の同僚を殺し、江戸に逃げてきました。仕事が無いため辻斬りをして生活していました。辻斬りとは現代の強盗殺人のことで、彼は130人もの人を殺したとされています。

その後普化宗東昌寺で尺八を学び、虚無僧として故郷の鳥取に戻りました。しかし、その頃すでに彼の両親が亡くなっていることを知り、自首したと言われています。

25歳という若さで、鈴ヶ森刑場で刑死しました。

結婚詐欺「 白子屋しらこや お熊」

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お熊と呼ばれる女性は、現代でいうところの結婚詐欺を犯しました。日本橋の材木屋白子屋の長女として生まれたお熊は、実の母親と計画し、持参金を目当てに又四郎を婿として迎え入れました。

その後下女を使って又四郎を殺そうとしました。又四郎は軽傷を負ったのみでしたが、殺人未遂としてお熊は捕まえられ、市中引き回しの刑となりました。

彼女は日本橋でも有名な美女であったため、一目見ようと多くの人が集まったようです。

渡辺健蔵の首塚

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1868年に鈴ヶ森刑場で首をさらされた渡辺健蔵は、鈴ヶ森刑場でさらされる最後の人物となりました。渡辺健蔵は、当時官軍が民に対して金品を強要するなどの振る舞いをしていたことから、池上本門寺に直訴に行きました。

これを「官軍に対する謀反」とされ、現在のりょうぜん橋のところで首を切られ、鈴ヶ森刑場に首さらしの刑となりました。民衆は彼の死を偲び、お墓を建てました。彼の墓は現在でも残されており、「お首さま」として呼ばれています。

鈴ヶ森刑場と関係の深い「涙橋」

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荒川区と品川区の2カ所にあった「涙橋」は近隣の刑場と深いかかわりがあるとされています。今は普通の道路となっていますが、当時は川にかかっていた橋であり、罪人はこの橋を通って処刑される刑場まで歩いて行ったとされています。

罪人はこの橋を渡ればもう戻ることはできないこの世との別れを意味し、家族は彼らを目にする最期の瞬間です。この橋の上で涙を流した人が数え切れないほどいることから、涙橋と言われていました。鈴ヶ森刑場の近くにある涙橋は現在では浜川橋に名称が変わっています。

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