2019年10月10日 更新

浅田真央と母親との強い絆!幼少期のエピソードや母親の死因

フィギュアスケーターの浅田真央の母親について紹介していきます。浅田真央と母親との幼少期のエピソードや母親が仕事をしていた言われる金津園についてや母親の死因についても紹介していきます。また父親についても少し紹介していきます。

浅田真央の母親である浅田匡子にも叶わなかった夢があるようです。それはバレエダンサーだそうです。浅田真央も幼い頃に習っていました。

バレエを娘に習わせた理由として叶えられなかった夢を2人の娘に託したからだと公表しているようです。2人ともバレエの道には進まなかったようです。

しかし浅田真央も浅田舞もバレエダンサーという母親の夢を叶えることはできなかったものの2人ともフィギュアスケーターとして活躍しました。

浅田匡子の自分の送ってきた苦労を娘たちには味わってほしくない、何かしら自分で生きる道を見つけてもらいたいと思っていたことがわかるでしょう。

浅田真央の母親の仕事は?金津園で働いていた?

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浅田真央の母親は金津園で働いていたという噂があるようです。金津園とは岐阜県にあるとても古い歴史のあるソープランド街です。

しかしながら金津園で浅田真央の母親が働いているのではという記載はネット上には多くあるものの証拠はまったくないようです。

もともと浅田真央の母親は夜の仕事をしていたため、そのあたりから母親が金津園で働いているという情報が流れたのかもしれません。

また幼い頃から娘たちには多くの習い事をさせていたためお金が必要であったため夜の仕事というイメージがついてしまったのかもしれません。

浅田真央の母親の死因

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ご存知の方も多いと思いますが、浅田真央の母親は2011年12月に他界しています。母親の死因は肝硬変であると公表されています。

浅田匡子は浅田真央が幼かった頃から肝臓があまりよくなかったようです。そのため浅田真央がスケートをしている時には闘病していたようです。

肝硬変を治療するためには肝臓移植が必要な場合があるようです。浅田匡子は肝臓の移植をしなければならないほど状況は良くなかったようです。

しかし娘からの肝臓の移植を拒否したようです。その後体調を崩し、他界してしまったようです。浅田匡子の死について見ていきましょう。

肝硬変

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浅田真央の母親の死因は肝硬変であると公表されています。浅田匡子は晩年顔色が良くないと言われていました。これは黄疸であったと考えられます。

肝硬変の原因はウイルスによるものやアルコールにのるものがほとんどのようです。浅田匡子が肝硬変になった原因まではわかっていないようです。

浅田匡子は浅田真央が小学生の頃から肝臓の病気で通院をしていたようです。浅田真央も病気の母親を笑顔にするためにスケートを頑張っていたようです。

肝硬変では肝臓を移植することで延命や治療をすることが可能なようです。そのため浅田匡子を移植を実際にしていたようです。

娘からの肝臓移植を拒否

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浅田匡子の肝臓移植をする必要性が出てきたときには家族も全員適合検査をしたようです。そして最も適合したのが浅田舞だったようです。

浅田舞はこの結果を聞いて母親のためになるならと移植を了承したようです。しかし母親は浅田舞からの移植を拒否したようです。

拒否した理由としては大事な娘の身体にメスを入れることなんてできないというものでした。そのときは強く移植を拒否したようです。

自分を犠牲にしても子どもの将来は守りたかったのでしょう。そして手術の危険度が上がることを覚悟し、夫から移植してもらうことになったのです。

浅田匡子死去

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夫からの移植は成功したもののやはり適合はしなかったようです。そのため急変後に浅田匡子は亡くなってしまいました。

浅田真央は21歳で母親を失ってしまったのです。浅田匡子も20歳で母親を亡くしているので何か通ずるものを感じてしまうでしょう。

母親を急変を聞いたときに浅田真央はカナダで行われていたグランプリファイナルの大会中であったため大会を欠場し、帰国したようです。

母親に会うため急いで日本に帰国した浅田真央でしたが、結局母親の最期を看取ることはできませんでした。

浅田真央のコメント

浅田真央 Mao Asada on Instagram: “「真央が行く!」NHKBS 5月3日(金) 午後9:00~午後9:50今回は、シッティングバレーの稲葉未桜翔くんです!” (695010)

浅田真央は母親の葬儀後のコメントを紹介します。「帰る飛行機の中でお母さんは自分が帰ってくるのを待っていると信じていた。」とコメントしました。

また「私たち姉妹にたくさんの愛を注いでくれたお母さんに何度ありがとうと言っても足りません。」とコメントしています。

とてもスケートに対してはストイックで厳しい母親ではあったもののそれを上回るほどの愛情を自分の娘には注いでいたのでしょう。

母親と浅田真央を最後までやり通すという約束を果たすべく、ソチオリンピックに挑みましたメダルは届かなかったものの日本中を感動させてくれました。

浅田真央の父親

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浅田真央の父親について少し紹介していきます。浅田真央の父親は過去にホストとして働いていたようです。当時はかなり稼いでいたようです。

またホストの後は有名なホストクラブのオーナーをしていたようで年商は1億円とも言われています。父親は逮捕されたことがあるようです。

2015年にソチオリンピック後引退も噂されていましたが、現役を続行することを発表しました。その4日後に父親がDVで逮捕されたと報道されました。

父親は当時交際していた50代の女性に暴力を振るい逮捕されたのです。この件に浅田真央は激怒し、生活費の仕送りもやめたという情報があります。

浅田真央と母親の絆

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いかがでしたか。今回はバンクーバーオリンピックで銀メダルを獲得した浅田真央の母親について詳しく紹介しました。

浅田真央の母親はスケートの練習にはとてもスパルタで厳しい母親であったようです。しかしそれは姉妹への愛があってのことだったようです。

浅田真央が20歳の時に母親は肝硬変で他界してしまいます。移植をすれば延命することができたかもしれないと言われています。

適合した浅田真央の姉である浅田舞からの移植を強く拒否しました。自分の大切な娘の身体を傷つけたくなったのです。
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その後母親は夫からの移植を受けたものの適合できず、他界してしまいました。自分の人生よりも娘の将来をとったのでしょう。

母親の他界後に挑んだソチオリンピックでは惜しくもメダルを獲得することはできませんでした。

しかしソチオリンピックでの浅田真央の演技を見た日本の皆さんは感動したのではないでしょうか。ここまで来れたのも母親のおかげでしょう。

現在はプロスケーターとして浅田真央はアイスショーに出演して、素晴らしいスケートを観客に見せています。これからも浅田真央の活躍に期待しましょう。

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